パワプロのやつ

外国人選手好きのパワプロブログ

ホセロ・ディアス【パワプロ2018】

 

豪速球と壊滅的制球力


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ホセロ・ソリアーノ・ディアス(Joselo Soriano Díaz , 1980年4月13日 - )

再現年度…2007年(3勝4敗2S 防御率4.59)

 

・1996年にロサンゼルス・ドジャースに入団。元々は捕手だったが、2001年オフに盲腸の手術を行い、復帰後3戦目でクロスプレーにより傷口が開いてしまったことがきっかけとなり投手転向をしたという経歴がある。

・2006年にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャーに初昇格して4試合に登板し、同年オフに横浜ベイスターズに移籍。

・2007年、開幕当初こそセットアッパー役だったが、制球難から不安定な投球が続いたため、シーズン中盤からは敗戦処理や大量点差がついた時点での中継ぎとしての登板が多くなっていた。9月27日に球団側に来季の契約を結ぶ意向が無いことが判明し、10月31日に正式に自由契約となった。

 

・その後、ニューヨーク・メッツマイナー契約を結び、2008年にはテキサス・レンジャーズでメジャー復帰を果たした。

・2010年、独立リーグであるアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約した。

 

査定

コントロール、四球、乱調

与四球率7.83。

敗戦処理が多かったとはいえシーズンを通して投げていたのでこんなところに。その分乱調をつけた。

スタミナ、回またぎ○

中継ぎで最高4イニング投げたことも考慮して。

対左打者B

本塁打のうち左打者に打たれたのは1本のみ。

登板数は少ないがメジャーでも対左の方がよかった。

野手基礎能力

打数は少ないが春季キャンプでホームラン3発打ったし元々は捕手だったしで気持ち高めに。

 

一言

今回のパワターは上手く出来たような気がします。

コントロールG14(大ケガ2回) + 赤特多めなので作成には苦労しました。

 

おまけ

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(何故自責点の合計が合わないのか)

スコット・チャイアソン【パワプロ2018】

 

右の先発候補として期待されるも…


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スコット・クリストファー・チャイアソン(Scott Christopher Chiasson, 1977年8月14日 - )

再現年度…2007年(一軍登板なし)

 

・1998年のMLBドラフト5巡目でカンザスシティ・ロイヤルズに指名され契約。2001年にシカゴ・カブスでメジャーデビュー。

・2006年、シンシナティ・レッズ傘下のAAA級ルイビルで3勝2敗29セーブ、防御率1.91の成績を挙げ、同年オフに横浜ベイスターズへ移籍。右の先発候補として期待された。しかし、春季キャンプ中に体調不良で練習の早退が続き、オープン戦でもボークを連発するなど課題を露呈した。さらにオープン戦中に右肩を痛めたこともあり開幕一軍はならなかった。その後、5月に右肩の治療のため帰国。7月にチームに再合流し、一時はブルペンで投球練習を行うまで回復していたが、今度は右肘を痛め、一軍・二軍共に登板機会がないまま、8月27日に球団から戦力外通告を受けた。結局、横浜での実戦登板はオープン戦の3試合のみであった。

 

・2008年からは、メキシカンリーグキンタナロー・タイガースに所属。同年8月、ボルティモア・オリオールズマイナー契約を結んだが、2009年3月には放出され、その後は2011年まで再びメキシカンリーグでプレーを続けた。

 

査定

球速、ノビE

150km/hの速球という触れ込みをそのまま採用。

オープン戦での最速は145km/hのようだがまぁここはおまけして。

その分ノビを下げた。

コントロール、四球

前後年の与四球率を見つつ決定。

だいたいこれくらいだと思う(適当)

スタミナ

元々リリーフピッチャーで、あまり回を跨いだりもしていなかった。

フォーム

俗にいう千手観音投法。

ムーアと同じフォームに。

対左打者F

そもそもメジャーでの登板がかなり少ないとはいえ対右.258 対左.421は大きい。

ケガしにくさG、回復F

一軍登板なし。

前年AAAで60登板とかしてるので回復はFに。

 

一言

リクエスト楽しい。

そもそもなんでほぼリリーフでの登板しかしてない投手なのに先発として期待していたのかとかの疑問も残るけどね。

グルン【パワプロ2018】

 

2勝8敗も「二刀流」で3本塁打*1


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アル・グルンワルド(Al Grunwald , 1930年2月13日 - 2011年1月18日)

再現年度…1962年(2勝8敗 防御率4.50 打率.211 3本塁打 8打点)

 

Wikipediaのページがなく経歴の詳しいところはよく分からんのでざっくりと調べた情報をそれっぽく書いてます。

・1947年に17歳でフロリダのD級リーグ、ルイスバーグに入団し、マイナーリーグメキシカンリーグでプレー。

・1955年にピッツバーグ・パイレーツでメジャー初昇格を果たすもわずか3試合の出場にとどまる。

・1959年に再びメジャー昇格を果たすも6試合の出場に終わった。

・メジャーでは投手として出場しているが、マイナーでは一塁手や外野手としての出場も多く、1953年にはAAで18本塁打を放った。

・1962年に左腕不足だった大洋へ入団。三原脩監督の下投手としての起用をされていたが、打撃力を買われシーズン途中から代打としてや野手としてスタメン出場もするようになった。しかし年俸に見合う成績とは言えず、1年で退団となった。

 

・大洋退団後の情報がないため同年限りで引退したと思われる。

・引退後はカリフォルニア州の新聞社で25年間働き、61歳で退職。社会保障と年金で暮らし、ロサンゼルス郊外で夫人と悠々自適の生活を送っていたが、80歳で亡くなった。

 

査定

球速

「特筆するべきほどのスピードはみられない」「直球にもスピードがない」という記述が見られた。

何となく肩をB以上にしたくなかったので143km/hに。

コントロール、四球、乱調

与四球率5.40。

ただしコントロールに自信があるという記述もあったので乱調をつけて基礎能力を少し上げた。

スタミナ、回またぎ○

完投が2回あるが、先発時の平均投球回は4.2回。

色々考慮してこのくらいに。

ちなみに中継ぎとしては最長6回を投げており、中継ぎとしての15登板のうち11登板で1イニング以上を投げている。

変化球

持ち球はカーブ、チェンジアップ、ナックルの3球種で、ほとんどカーブとチェンジアップ。

カーブについての話では「投げるとき手首が変な曲がり方をする」と言われていたためドロップに。

対左打者B

本塁打全て右打者から。

力配分

本塁打を許した7人のうち6人がシーズンで放った本塁打が1桁の打者。

力配分の青特部分として、ONコンビを15打数1安打と抑え込んだという記録もある。

対左投手F

本塁打全て右投手から。

分かる範囲では左からろくに打てていない。

 

一言

一度ドロップカーブで作成してしまい再作成という地獄を見ました(自業自得)。

二刀流になっている分☆が高く見えますが、それぞれの能力は大したことないです。

 

おまけ

今回からこんなことをやり始めました。

需要はなさそうですが調べようと思ったらそこそこ時間かかると思いますし一応載せておきます。
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(所々合ってるか不安なところあるけど)

*1:マイナーなどを合わせると一塁手としての出場が一番多いので元々は野手が本業ともとれるが

ジェームス・ボニチ【パワプロ2018】

 

二軍の帝王


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ジェームス・ウェイド・ボニチ(James Wade Bonnici , 1972年1月21日 - )

再現年度…1997年(打率.000 0本塁打 0打点)

 

・1990年のMLBドラフト58巡目でシアトル・マリナーズに入団。

・1997年のシーズン途中、オリックス・ブルーウェーブに入団。当初は育成目的での入団で二軍の試合に出場し続け、三冠王を獲得した*1

・翌年は、変化球に対応できず、無安打のままシーズン途中で解雇された。

・1999年はデトロイト・タイガース傘下の3Aトレド・マッドヘンズでプレー。

 

・現在はタンパベイ・レイズマイナーリーグのスカウトの傍ら、マイアミの「Total Sports Complex」の野球部門でコーチを担当している。

 

査定

基礎能力

色々見比べたりしながら決定。

当初はパワーをD55辺りにしようかと考えていたが、デフォを見たりしているうちにこの数値に。前年AAAで26本塁打だしBが似合うね。

守備適正、キャッチャーG

一軍では一塁しか守っていないが、前年までは捕手、三塁手としても出場している。

緑特能

だいたいこんな感じ。

調子極端は迷ったけどそもそも一軍での出場が少なすぎるので今回はなしで。つけてもいいのかなぁ…

 

一言

痛恨のミスをしていたので作り直しました。

写真によって髪型とかが結構違ってたのでパワターは雰囲気で作りました。

*1:規定打席には達しておらず、不足分を凡打として加算し算出された認定首位打者。打率.338 15本塁打 58打点。

スコット・マクレーン(2009)【パワプロ2018】

 

かつての「ツイン・バズーカ」の一角、37歳でNPBに復帰しチーム本塁打王


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スコット・マイケル・マクレーン(Scott Michael McClain , 1972年5月19日 - )

再現年度…2009年(打率.244 18本塁打 52打点)

 

説明割愛。

 

査定

対左投手E

前年の成績(対右.333 対左.167)を参照。

ただし打席数が少ないことと西武時代は左投手に強かったことを考慮してEに。

 

一言

作りました。

年齢的にヘッスラはつけませんでした。

ケビン・ライマー【パワプロ2018】

 

メジャーでの実績を引っ提げ入団、1年目でベストナイン


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ケビン・マイケル・ライマー(Kevin Michael Reimer, 1964年6月28日 - )

再現年度…1994年(打率.298 26本塁打 97打点)

 

・1985年のMLBドラフト11巡目(全体の265番目)でテキサス・レンジャーズに指名され契約。1988年、メジャー初昇格。1992年には規定打席数に到達し、1991年から1993年にかけて二桁本塁打および100安打以上をマーク。

・1994年ダイエーに入団。4月9日のオリックスとの開幕戦で1本塁打・5打点を挙げ、その後も活躍。ダイエーの選手として福岡ドーム初の満塁ホームランも放ち、ベストナインに輝いた。

・1995年は故障もあり成績が落ちてしまい、1996年のシーズン直前に解雇された。

 

・その後はシアトル・マリナーズと契約。3Aタコマで2年間プレーしたがメジャー復帰は果たせなかった。

 

査定

守備

よくない。

対左投手F

前年の成績を参照。

バッティングスタイル的にもFでいいと判断。

プルヒッター、インコースヒッター

こちらも前年の成績を参照。

本塁打13本の内10本が引っ張り。

満塁男

福岡ドーム初満塁弾ボーナス。

前年も満塁時打率.333と高めなので。

 

一言

メジャー成績加味して査定するのが楽しくなってきてる。

初めての野良天才でした。

追記 得点圏.333 対左.235らしい。

ソイロ・ベルサイエス【パワプロ2018】

 

カープ初の外国人選手*1


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ソイロ・カサノヴァ・ベルサイエス・ロドリゲス(Zoilo Casanova Versalles Rodriguez , 1939年12月18日 - 1995年6月9日)

再現年度…1972年(打率.189 4本塁打 10打点)

 

・1958年にワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)と契約。さらに翌シーズンには19歳でメジャーデビューを果たしている。

・1961年に能力が開花し、正遊撃手としてのちにMLBで1、2を争うと言われるまでになった守備力を発揮、一番打者にも定着した。1963年にはオールスターゲームへ選出されるとともに、ゴールドグラブ賞を獲得。1965年にはオールスター出場やゴールドグラブ賞獲得と大活躍、ア・リーグの最優秀選手に輝いた。

・1967年にトレードで移籍。1968年、プレー中のケガで背中を痛め、それ以降成績は下降線をたどっていく。さらにトレードもされ、1970年はメキシカンリーグでプレーする。そして1971年にアトランタ・ブレーブスと契約し、プレーするものの往年の活躍は見られず、同年限りで引退することとなった。

・翌1972年7月、広島に入団。主に三塁手として出場したが、背中のケガに加え、デビュー戦でいきなり右足を捻挫、打順も7番か8番という有様で終始精彩を欠き、同シーズンがベルサイエスのキャリア最後のシーズンとなった。

 

・引退後はミネソタ州ミネアポリスに住み、ゴルフクラブ販売などの事業を始めた。しかし、故郷キューバを恋しがり、ほとんど英語が話せなかったベルサイエスの事業は成功しなかった。多額の債務を整理するため、MVPトロフィーやゴールドグラブの賞品を手放すことになったとも伝えられている。晩年は不遇だったようであり、背中のほか、心臓と胃に持病を抱えていた。

・1995年6月9日、ベルサイエスミネソタ州ブルーミントン近郊にて55歳で死去した。2006年、ミネソタ・ツインズはベルサイエスを「ミネソタ・ツインズ名誉の殿堂」メンバーに選出した。

 

査定

チャンスメーカー

前年を見ると先頭時打率.371。

ローボールヒッター

グラウンドボールピッチャーに強い。

チームプレイ×

「文句だけはメジャー級」と言われていた。

 

一言

メジャーでの実績が凄まじい。

注釈のつけかたを知ったので使ってみました。

*1:当時のカープは、いわゆる純血主義を唱え、外国人選手は日系人や、日本人と同様に扱われる在日コリアン(入団以前に日本に帰化した選手を含む)以外採用したことがなかった

タイゲイニー【パワプロ2018】

 

お殿様


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テルマンチ・ゲイニー(Telmanch Gainey, 1960年12月25日 - )

再現年度…1993年(打率.290 23本塁打 43打点)

 

・1979年のMLBドラフト2巡目でヒューストン・アストロズに指名され契約。1985年にメジャー初昇格も、メジャーに定着することはできなかった。

・1991年、メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズに入団。その翌年には、47本塁打を放った。

・1993年、オリックスに入団。開幕当初は成績が振るわなかったが、8月に入って1番打者に定着すると打棒が爆発し、9月には打率.352、11本塁打で月間MVPを受賞した。

・翌年はシーズン中、大事な場面でホームランを放った際にチームメイトから「よっ!殿様」と言われた事が気に入ったのか、自ら「殿」とアダ名を付け呼ぶようになった。しかし肝心の成績はひざの状態が悪く低下、同年限りで退団。

 

・その後メキシカンリーグCPBLなどでプレーし、2000年限りで引退。

 

査定

盗塁F

盗塁成功率6割。

チャンスメーカー

1番に定着してから打棒爆発。

 

一言

意外と青特がつけられなかった。

デフォでは重量級がついてたけど。

ホセ・パーラ(1999)【パワプロ2018】

 

読売巨人軍のパーラ選手です


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ホセ・ミゲル・パーラ(Jose Miguel Parra , 1972年11月28日 - )

再現年度…1999年(2勝3敗 防御率5.32)

 

・1989年12月、ロサンゼルス・ドジャースと契約。マイナーリーグを経て、1995年にメジャー初登板を果たす。同年7月31日にはトレードでミネソタ・ツインズに移籍。移籍後は先発、翌年は、ロングリリーフもこなしたが、1997年はメジャーでの登板はなく、シーズンオフに解雇される。

・1998年は韓国プロ野球の第1回外国人選手ドラフトで三星ライオンズから1位指名を受け入団。60試合に登板し、19セーブを挙げて、プレーオフにも出場している。

・1999年に巨人に入団。登録名はホセ。当初は育成目的で獲得とのことだったが、投手陣の不振や怪我人が出たことにより5月に一軍昇格。5月18日、初先発のヤクルト戦で9回途中まで無失点の好投をする。続く広島戦で来日初勝利をあげたが、目立った成績を残すことができずに1年で退団となった。

・以降国を問わず各リーグを転々とし、2005年に合併して間もないオリックスと契約し、日本球界に6年ぶりに復帰することになった。登録名はパーラ。

・開幕から先発を任され、合併球団になってからの初勝利投手になるなど、シーズン序盤の先発の軸となる。なかなかの滑り出しだったが、6月に右肘を痛め途中降板。右肘内側靭帯及び屈筋腱の損傷で全治6週間と診断されると、8月4日に自由契約となり退団した。

 

査定

球速

デフォから。

変化球

メジャーでの球種から。

カットボールはおそらく2004年頃から投げ始めたと思われるため今回はなし。

対ピンチE、打たれ強さF

失点が集中しがちな印象を受けたので打たれ強さをFに、対ピンチはその分の調整でEに。

 

一言

ヘラルド・パーラと似た名前の選手を作って便乗でもしようかと調べたんですが、まさか同姓の選手が巨人にいたとは、知らなかった。

キャリアハイはオリックス時代だと思いますがそっちを作るかは未定。

ルイス・アキーノ【パワプロ2018】

 

球速差59km/hの緩急でチーム最多勝


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ルイス・アントニオ・コロン・アキーノ(Luis Antonio Colón Aquino , 1964年5月19日 - )

再現年度…1996年(11勝9敗 防御率4.04)

 

・1981年にトロント・ブルージェイズと契約。1986年にメジャーデビュー。

・その後メジャー数球団を渡り歩き、1996年に近鉄に入団。

・チームトップの11勝を挙げるも、同年オフに突如解雇される。近鉄フロント陣は「ピッチングパターンを覚えられてしまった」「大阪ドームへの本拠地移転にあたって人心を一新したかった」という不可解なコメントに終始した。同性愛者で、チーム内でトラブルを起こしたからという噂がある。

 

・帰国後、1997年にデトロイト・タイガースのキャンプに参加したが契約には至らなかった。

・1998年はアメリ独立リーグのアトランティックリーグでプレーし、同年限りで現役引退。

 

査定

球速

デフォでは146km/h。

調べたところこれは来日前までの情報で、シーズンではおそらく145km/hがMAX。

変化球、シュート回転

めちゃくちゃ繰り返し動画見ました。

半速球も投じているためムービングファスト。

直球でもシュート変化している球が多かったのでシュート回転も追加。

一番の武器であるチェンジアップはオリ変で。出来る限りそれらしくなるように調整しました。

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フォーム

腕をくにゃくにゃと曲げながら投げる「オクトパス投法」らしいがそれっぽいのはなかった。

全体的な動作が一番似ている気がした広島ジョンソン投法を採用。

球持ち○

腕が遅れて出てくるオクトパス投法から。

打球反応○

見た動画だけでも打球に対する反応の良さを感じた。

四球

こういうピッチャーはコースを狙った結果の四球が増えがち。

その分コントロールは少し高くして調整。

乱調、調子極端

試合単位の波もイニング単位の波もある。

 

一言

かなりこだわって作った自信作です。

オリ変の名前をチェンジアップにしたのは(映像が粗かったので断言は出来ないけど)握りがサークルチェンジではなかったからです。

 

追記

マックファーデンに釣られたのか何故かレオン・アキーノと表記してました、アキーノファンの皆様には不快なことをしてしまい申し訳ないです。

マリオ・ブリトー【パワプロ2018】

 

お化けフォーク


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マリオ・ディオニシオ・ブリトー(Mario Dionisio Brito、1966年4月9日 - )

再現年度…1996年(3勝2敗19S 防御率3.33)

 

・1986年にモントリオール・エクスポズと契約しプロ入り。

・1991年にシカゴ・ホワイトソックス傘下で初めて3Aに昇格するも、2勝14敗で解雇されてしまう。

・1992年、古巣・エクスポズに拾われ、この年からリリーフ専門に転向、1994年にはミルウォーキー・ブルワーズ傘下3Aで40試合に登板し、6勝2敗11セーブを記録。リリーフ転向後は好調を維持していたもののメジャーに昇格は叶わなかった。

・1995年に台湾の兄弟エレファンツに入団するも、手の負傷がネックとなり、1年で退団した。

・1996年はフロリダ・マーリンズと契約し3Aでクローザーを務めていたが、巨人がストッパー候補だった西山一宇石毛博史の不振を受けシーズン途中の4月24日に獲得を発表した。先に入団した同じドミニカ出身で元同僚でもあるバルビーノ・ガルベスの紹介による入団だった。当時日ハムに同姓のバーナード・ブリトーが在籍していたため登録名はマリオになり、人気ゲームにあやかって「スーパーマリオ」の愛称で呼ばれた。

・来日初登板となった広島戦では4者連続三振を奪う活躍で初セーブをマークし岡島秀樹のプロ初勝利をアシストした。その後も主にクローザーとして起用され、前半戦終了時点で1勝14セーブの好成績でリリーフ陣の救世主的存在となる。

・しかし後半戦に入ると打ちこまれる試合が目立ち結局5セーブしか挙げられず、最終的にクローザーの座を川口和久に明け渡した。

・「メークドラマ」に貢献したが、後半戦の不振が響き同年10月31日に退団が発表された。

 

・翌年は再び兄弟でプレーし、2000年にはメキシカンリーグでプレーした。現在はドミニカン・サマーリーグDSLインディアンスで投手コーチを務めている。

 

査定

球速

デフォでは148km/hだがソースが見つからず。

見つかったなかで最速が145km/h。

対ピンチB

82さんの対ピンチ判定表から。

対左打者C

本塁打5本のうち、左打者には1本しか打たれていない。

キレ○

お化けフォーク。

シュート回転

一発をつけるほどではないが、被本塁打率が高め。

軽い球だとフォークにも影響があるのでこちらに。

調子極端

後半戦打ち込まれた。

回復を下げることでも表現出来そうだったが3連投とかもしてるので下げられなかった。

 

一言

調子に依るところが大きいので運が良ければ普通に活躍するかも(防御率5点台とかもあるけど)。

パワターを一番頑張りました。

打撃がよかったらしいのでリリーフとしては比較的高めの打撃能力になってます。

レオン・マックファーデン【パワプロ2018】

 

ベース一周13.6秒の韋駄天


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レオン・マックファーデン(Leon McFadden , 1944年4月26日 - )

再現年度…1972年(打率.283 2本塁打 6打点)

 

・1972年に阪神タイガースに入団。身長190cm近い大柄な黒人選手で、一番の売りは走力だった。当初はスタメン落ちが多かったが、シーズン後半からはたびたびスタメンに名を連ねるようになった。

・しかし、同年オフに年俸で折り合いが合わず、日本プロ野球史上初の参稼報酬調停を申請。翌年来日したものの契約更改せず、帰国した。

 

査定

走力、走塁B

ベース一周13.6秒。

鈴木尚広が13.3秒らしいのでかなり速い。

チャンスG

好機で打てなかったというような記述が多く見られた。

メジャーでの成績を見てみると通算打率.215に対して通算得点圏打率.048ということが分かったのでGに。

盗塁E、慎重盗塁

上述のように俊足の持ち主ながら盗塁企図数も成功率も低め。

チームプレイ○

「首脳陣の指導を素直に受け、真面目に練習に励んだ」らしい。

 

一言

自分で言うのもアレですが少しは成長している気がしている。

ボブ・ミラッキ【パワプロ2018】

 

初回60球・被安打10で10失点の大記録


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ボブ・ミラッキ(Robert "Bob" Milacki , 1964年7月28日 - )

再現年度…1997年(0勝2敗 防御率7.30)

 

・1983年のMLBドラフト9巡目でサンディエゴ・パドレスに指名されるも契約せず、同年のMLB二次ドラフト29巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。

・1988年にメジャーデビューを果たし、翌年には14勝をマークして主力選手の仲間入りをする。しかし、その後は好成績は挙げられず、1991年を最後に2桁勝利することはできなかった。その後メジャー数球団を渡り歩いてプレーした。

・1997年に近鉄に入団し、来日。前年に11勝を挙げたルイス・アキーノに代わる先発投手として期待されたが、春季キャンプに現れたミラッキは明らかに太り過ぎており、ブルペンでもオープン戦でも好結果を出すことができずに開幕は二軍スタート。6月に一軍昇格したが散々な出来で、特に6月27日の対西武戦では初回に10失点してしまう失態ぶりを見せた。その後もう1度先発する機会を与えられたが結果は残せず二軍落ちし、そのままシーズン終了後に自由契約となり、帰国した。

 

・帰国後はアメリカ球界に復帰するもメジャー復帰は果たせず、2000年はアメリ独立リーグのノーザンリーグに加盟していたセントポール・セインツでプレーし、同年限りで現役引退。
 

査定

コントロール

与四球率6.93。

アイケルバーガーを参考にしつつ決定。

スクリュー

「左投手の投げるシンカー=スクリュー」という認識が浸透しているにも関わらず、変化球についての記述全てで「スクリュー」と表記されていたのでオリ変でスクリューを作成。

といっても当然ながら正しいスクリューの絶対的な基準が存在しているわけではないので、逆方向のカーブという一般的な定義に則って色々調整。

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対ピンチF、打たれ強さF、スロースターター

82さんの対ピンチ判定表ではゴリゴリにG判定。

普段のLOB%を参照する打たれ強さの査定だとこちらはE。

ただ初回10失点という大炎上をやらかしてる以上打たれ強さはF以下にしたい。

件の試合を除くとどちらもかなり良化することを踏まえて両方をFにすることで調整し、初回10失点ボーナスでスロースターターを追加。

回またぎ○

唯一中継ぎ登板した試合では6回から9回までの4イニングを投げ1失点で抑えている。

調子極端

乱調と迷ったけどこっちの方が合ってると思った。

 

一言

気まぐれ外国人選手キャンペーン第二弾です。

オリ変スクリューは結構思いきったつもり。

 

ミラッキも音声あるのかよ!!!

 

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これはこだわりのパワター

マイク・バークベック【パワプロ2018】

 

外国人選手としては球団初の完封勝利を挙げた技巧派右腕


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マイケル・ローレンス・バークベック(Michael Lawrence Birkbeck , 1961年3月10日 - )

再現年度…1995年(2勝0敗 防御率2.82)

 

・1983年、MLBドラフト4巡目でミルウォーキー・ブルワーズに入団。1986年にメジャーデビューを果たす。その後、ニューヨーク・メッツへ移籍。

・1995年シーズン中盤に、横浜ベイスターズに入団。この年は当初ジェフ・シュワーズが外国人投手として在籍していたが、余りの制球難で6月で解雇されたため、急遽補強された。

・7月2日、初登板初先発の中日戦で来日初勝利を挙げると、3試合目の7月18日の広島戦では初完封勝利。外国人としては球団史上初の完封勝利であった。

・しかし、8月5日の巨人戦でシェーン・マックの放ったライナーが右足の向こう臑に直撃し骨折。事実上ここで選手生命を絶たれてしまう。治療後に復帰するも、負傷前とは別人のようなピッチングで、1996年半ばに解雇。

 

・引退後は、大リーグでコーチを務め、現在はケント州立大学でコーチを務めている。

 

査定

球速

パワプロ'96開幕版デフォ。

1995年の活躍もあり収録されていたのだ。

コントロール

与四球率1.88。

スタミナ、回復E

ここが一番迷った。

登板した全試合を確認した結果、初登板の試合と完封した試合以外では失点をしており、基本的に中5日前後で投げているが、完封した試合は中9日での登板だったということが分かった。

ケガ以降のことも考慮して回復を下げ、スタミナは完封分も考え少しだけ高くした。

対ピンチB

82さんの対ピンチ判定表から。

乱調

これは全試合を探しだしたことによる賜物と言える査定。

自責点が記録された試合を見ると、7/23のヤクルト戦で飯田哲也にホームランを打たれた試合を除く、全ての試合で一つのイニングに自責点が固まっている。

さらに1,2回の自責点はなくスロースターターには該当しないため乱調を追加した。

 

一言

気まぐれ外国人選手キャンペーン第一弾です。

第二弾の選手はもう決めてますがそれ以降はまだ未定なので自分でも楽しみです(?)

バークベックの音声が収録されてたのには驚いたね(過去作に収録されていたからだと思うけど)。