カープ初の外国人選手*1
ソイロ・カサノヴァ・ベルサイエス・ロドリゲス(Zoilo Casanova Versalles Rodriguez , 1939年12月18日 - 1995年6月9日)
再現年度…1972年(打率.189 4本塁打 10打点)
・1958年にワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)と契約。さらに翌シーズンには19歳でメジャーデビューを果たしている。
・1961年に能力が開花し、正遊撃手としてのちにMLBで1、2を争うと言われるまでになった守備力を発揮、一番打者にも定着した。1963年にはオールスターゲームへ選出されるとともに、ゴールドグラブ賞を獲得。1965年にはオールスター出場やゴールドグラブ賞獲得と大活躍、ア・リーグの最優秀選手に輝いた。
・1967年にトレードで移籍。1968年、プレー中のケガで背中を痛め、それ以降成績は下降線をたどっていく。さらにトレードもされ、1970年はメキシカンリーグでプレーする。そして1971年にアトランタ・ブレーブスと契約し、プレーするものの往年の活躍は見られず、同年限りで引退することとなった。
・翌1972年7月、広島に入団。主に三塁手として出場したが、背中のケガに加え、デビュー戦でいきなり右足を捻挫、打順も7番か8番という有様で終始精彩を欠き、同シーズンがベルサイエスのキャリア最後のシーズンとなった。
・引退後はミネソタ州ミネアポリスに住み、ゴルフクラブ販売などの事業を始めた。しかし、故郷キューバを恋しがり、ほとんど英語が話せなかったベルサイエスの事業は成功しなかった。多額の債務を整理するため、MVPトロフィーやゴールドグラブの賞品を手放すことになったとも伝えられている。晩年は不遇だったようであり、背中のほか、心臓と胃に持病を抱えていた。
・1995年6月9日、ベルサイエスはミネソタ州ブルーミントン近郊にて55歳で死去した。2006年、ミネソタ・ツインズはベルサイエスを「ミネソタ・ツインズ名誉の殿堂」メンバーに選出した。
査定
チャンスメーカー
前年を見ると先頭時打率.371。
グラウンドボールピッチャーに強い。
チームプレイ×
「文句だけはメジャー級」と言われていた。
一言
メジャーでの実績が凄まじい。
注釈のつけかたを知ったので使ってみました。