近鉄を愛したパナマの英雄
ベンジャミン・アンブロシオ・オグリビー・パルマー(Benjamin Ambrosio "Ben" Oglivie Palmar, 1949年2月11日 - )
再現年度…1988年(打率.311 22本塁打 65打点)
査定
守備力、積極守備、ケガしにくさE
決して上手くはない、というか下手な部類なのは間違いないが…
グラウンドでの勝利への執念。常に全力プレー。39歳と高齢にもかかわらず、その闘志あふれるプレーはまさに"メジャー"のそれだった。という評価。
シーズン終盤で欠場することになってしまったのもここ(シーズン序盤の欠場は右手首を痛めたから)。当時の雑誌からまとめたけど、普通に長いので注釈にエピソード書いておきます*1。
2年目ということでストライク、ボールに対する不満を口にすることが減った。
「ストライクゾーンに対する戸惑いはあまり、ない。もともとローボールヒッターだし、自分のヒットゾーンは分かっているからネ。それよりもアンパイヤによってストライクゾーンが違うのが困った(略)」
追い込まれるまでは自分のヒットゾーンはすべてヒッティング。悪球打ちではなく「自分がヒットにできる球は打つ」という評価。
一言
これで大物軍団の選手は終わり!
モチベはそこそこあって選手作ってるのでまだまだパワプロ2022で投稿はします。
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*1:優勝を争う西武との最後の直接対決となる10/7,8の2連戦。大麻事件で退団したデービスの代役として移籍、ここまで驚異的なペースで本塁打を量産してきたブライアントが、体の不調を訴えた。足を痛めていて満足なプレーは出来ない状態だったが、この大一番で大砲を欠くわけにはいかず、仰木監督はオグリビー左翼、ブライアントDHという"決断"をした。
そして2回。一死一塁で(しかも一塁走者の清原を走らせるエンドラン)石毛が放った左翼線への当たり。お互いに優勝のためには負けられない試合。オグリビーは懸命に打球を追い、決死のダイビングを見せたが、届かない。結果はタイムリースリーベースに。その後森監督は続けてまだ2回という状況でスクイズという妙手を打ち、同点に追いつき西武が流れをものにした(試合はここから、首位攻防戦に浮き足立っていた近鉄が揺さぶられたことで5回にタイムリーエラーで決勝点を献上してしまう)。
そして7回裏、笘篠の左前打を処理したオグリビーがベンチの仰木監督に視線を送る。「ボス、だめだ……」チームを牽引してきた主砲は試合終了を待たずに病院へ直行した。
「右肩打撲・捻挫」という診断結果。翌日の試合は欠場(ブライアントも本調子とは程遠い)となり、両外人を欠いた近鉄は王者西武に連敗。
「外人を一人、休ませておけば……と思うと悔やんでも悔やみきれん」中西コーチがポツリつぶやいた。だが、断を下した仰木監督は、口が裂けてもそんなことはいえない。「もう一度、西武を追いつめてみせる」絞り出すような声でいうのがやっとだった