パワプロのやつ

外国人選手好きのパワプロブログ

本とかで見た査定に使えそうな外国人選手に関する話をまとめただけ

※メモアプリに書き連ねてたものをコピペしただけ

 

ジー・スミス

「(日本のピッチャーは開幕時にはいい球を投げるが夏球速が落ち涼しくなるとまた上がる)緩いスピードの球を打つのは、私のような外国人選手にはたやすいことだった」

「(メジャーにはサブマリンが少ないのでコーチ陣には打てないのではと心配されていたが)低めを打つのが得意だったので苦労することはなかった」

「基本的な考えは『アグレッシブであれということ』」

趙成珉

「(自分の投球スタイルについて)150km/h以上の速球だけでなく、フォークとスライダー、シンカー、カーブ、ツーシーム、チェンジアップと球種が結構あり、その日に調子のいいボールを選んで投げていた」

98年、オープン戦でもずっと抑えだったが球の走りはよく、150km/h以上出ていても打たれてしまっていた。開幕カードで抑えが金石だったので二軍行きかと思ったが、先発の河原の故障でチャンスを得る。初先発で7回3失点の好投を見せローテ入り。監督推薦でオールスターへ。
この頃をコーチになって見返すと「オールスター戦前からヒジの状態が良くない。調子が悪いのに我慢して投げている。今なら100球前後で交代させるがその頃は負けていても9回まで150球投げたりしていた」しかし「このくらいの痛みで休んではいけない、『もしここで自分が休んだらチームがヤバい。自分が巨人のエースだ』と思っていた」

李恵踐

荒れ球が持ち味だが日本でのフォーム修正でその特徴が薄れた

高英傑

Q.投手として対戦して凄かったという選手は?
A.マニエル。近鉄戦の登板が多かったのもあるが、いつも打たれたという印象。「何を投げても打たれるんじゃないか」と思ったくらい
2年目の春季キャンプでヒジを痛め1ヶ月くらい休んだ。治ってから二軍で投げたが6月にまた痛み投げられなくなってしまった。穴吹二軍監督(当時)の勧めで打者に転向したが「ヒジさえ痛くなければ」という挫折感は少なからずあった

・打者転向後
二軍ではよかった(打点王や二桁本塁打)が一軍では対応出来なかった。唯一放った本塁打は阪急今井から
若い選手が多い二軍では自分もアマチュア時代に実績があったので上から下に投手を見下ろしていてリラックス出来ていたのでイメージ通りに打てたが、一軍では逆に見下ろされたので全然打てなかった

・同胞の李来発について
打者転向で同じ外野手になってしまったことで最高の話し相手だった来発と同じ場所にいられなかったのは辛かった
元々捕手だったが言葉の壁でできなかったため俊足と強肩を買われて外野手にコンバート。自分より一軍で成績を残せたのは使い勝手がよかったからじゃないか

アニマル・レスリー

「(何種類くらい投げられるか?)直球、シュート、チェンジアップ、スライダー、フォーク、それにナックル」
野性をむき出しにしてプレーするのが信条

ランディ・メッセンジャー

来日当初は力のある真っ直ぐと縦に割れるドロップの2種類だけだったが、先発をすることで徐々に落ちるボールも覚えていった

マウロ・ゴメス

外角のストライクゾーンから外れるボールは振らないという徹底した意識づけ

ボブ・ホーナー

「自分はアベレージヒッター。アベレージが高ければ高いほど、そのほかのもの(本塁打、打点)がついてくる」
「バッターボックスに立って一番必要なことは自分にとって手ごろな球を打つこと。それを待つということがバッティングの基本」「四球攻勢があれば一塁に歩くだけ。いいボールが来るまで待つ。そのボールが来なければバットを振らなければいい」
「とにかく自分の持っているものを100%出すのがモットー。守備も走塁も。すべてを通して1試合全うし、初めて100%の力を出し切ったと考えている。私は1試合100%燃え尽きるし、燃え尽きていきたいと思ってプレーしている」

ウィリー・デービス

日本球界入りの理由は、創価学会の熱心な信者で、もともと日本に興味があったから。唯一の条件として背番号3を要求。「三角は人が支え合っている形だ。人がお互い支え合って生きているという摂理。3をもらえなかったら日本には行かない」
エミー夫人と子供はハワイで暮らし、日本には時々やってくるだけだった。「でもさびしくないよ、俺は2人で生活しているから」と言った。これは日蓮上人と一緒という意味。自室には仏壇があり毎日1時間お経を読んでいた。
与那嶺監督に対し完全な上目線で練習方法や作戦にズケズケ文句をつけていた。
「中日は俺次第なんだ」という宣言も
塁に出ると落ち着きがなく、何やら投手を怒鳴りつけたり、ツイストのようなダンスを踊りながらリードしたりで相手の牽制にはなっていたが、味方の打者からも「気になって集中出来ない」とぼやかれた
巨人戦で堀内恒夫に盛んにほえていたときは「俺は生きているんだ!生きているぞ!」と言っていた(らしい)

テリー・ブロス

2mを超える長身から投げ下ろす直球が武器。角度がある上に手元でホップした
その真っ直ぐをさらに生かすために、2年目のキャンプでフォークを覚えさせようとしたのが災いした。フォークの練習をしていたらストレートが手元でホップしなくなってしまった。指でボールを挟んで投げるフォークと真っ直ぐとでは違う筋肉を使う。フォークの練習でついてしまった筋肉が、真っ直ぐを投げる動きの邪魔になってしまったのではないか