ヤクルト屈指の中継ぎ左腕、覚醒まであと1年
石井 弘寿(いしい ひろとし、1977年9月14日- )
再現年度…2001年(2勝3敗1S 防御率3.40)
皆さんご存じ。
査定
全般
翌年がキャリアハイ。
それを参考に成績に合わせて能力を調整。
まぁこれは完全に2002年で覚醒してますね。
一言
2002年が凄まじい。
石井 弘寿(いしい ひろとし、1977年9月14日- )
再現年度…2001年(2勝3敗1S 防御率3.40)
皆さんご存じ。
全般
翌年がキャリアハイ。
それを参考に成績に合わせて能力を調整。
まぁこれは完全に2002年で覚醒してますね。
2002年が凄まじい。
河端 龍(かわばた りゅう、1976年11月10日- )
再現年度…2001年(3勝2敗 防御率3.20)
・西城陽高ではエースとして1994年夏の甲子園に出場。1回戦は完投するも、7失点(自責点4)で敗退。
・龍谷大学時代は、先発投手として活躍。1995年、1年生にして頭角を現し、新人賞を受賞している。その後も2度のMVP、3度の最優秀投手賞受賞、ベストナイン3回など、エースとして大活躍。大学通算28勝9敗、防御率1.62。
・1998年度ドラフト5位でヤクルトに入団。
・ルーキーイヤーから早速一軍登板を果たし、二岡智宏から初の奪三振を記録している。
・翌年は右肘の故障による手術やリハビリにあてることとなった。
・2001年に復活し、中継ぎに定着。初勝利も記録しリーグ優勝と日本一に貢献。
・翌年以降も欠かせないセットアッパーとして活躍、2005年にはローテーションの谷間に先発もこなした。
・2006年には手術やリハビリがあり登板はなく、2008年10月1日に引退を発表。同年の最終戦で3年ぶりに一軍登板、斉藤俊雄を三振にとり現役生活を終えた。
全般
デフォとかをかなり参考にして作ったので意外と書くことがない。
名前がかっこいい。
最近の選手だけど意外と情報が少なかったです。
山本 樹(やまもと たつき、1970年8月31日 - )
再現年度…2001年(6勝3敗1S 防御率2.93)
・龍谷時代には、関西六大学リーグの公式戦で、通算10勝9敗の成績を残した。1992年ドラフト4巡目でヤクルトに入団。
・制球難で伸び悩んだが、4年目の1996年から左の先発要員として一軍に定着。先発にリリーフにと便利屋起用が続いたが、1998年以降中継ぎに専念、素質が開花した。
・1998年~2001年クローザーである高津臣吾につなぐセットアッパーとして7回から8回にかけてのところで登板を重ねた。
・2002年に左肩を故障。武器であった速球のスピードが落ちたことからフォームをスリークォーター気味に変え、変化球中心の技巧派投手となった。
・2003年はワンポイントリリーフとしてある程度の成績を残したが、それ以降は悪化し、石井弘寿の台頭などもあり2005年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。
・12球団合同トライアウトにも参加したが、採用に至らず現役を引退。
・現在は龍谷大学の投手コーチ・監督を経て、大阪観光大学の監督を務める。
変化球、変化球中心
ストレート39% スライダー32% カーブ2% フォーク10% シュート18%…らしいよ。
やっぱり左腕大国すぎる。
今のヤクルトの一軍で頼れる左腕投手って石川さんとおハフさんくらいだもんね、高橋くんの飛躍と中尾くんの復活に期待。
追記
普通に使ってたらこのフォームが「たまに横から投げる」フォームだと判明したので気になる方は各自変更してください。
高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日- )
再現年度…2001年(0勝4敗37S 防御率2.61)
説明不要!
球速
2001のデフォとか色々見てると142km/h説も結構あったんですが、まぁ146km/hがしっくり来るかな。
オリ変の球速との兼ね合いもあったけど。
スタミナ
結構迷いましたが、投球回が登板数を下回ってるので低めにしました。
中継ぎのスタミナの査定ムズすぎる。
変化球
今中さんのときもやりましたが、球速差再現でオリ変採用しました。
高津さんは100km/h前後の遅いシンカー、120km/h程のシンカー、130km/h台の速いシンカーと三種類のシンカーを使い分けます。
その中から遅いシンカーと速いシンカーを採用しました。
動画で見てみても遅いシンカー結構投げてたしね。
変化量は盛りました、スライダーは1でいいと思います()
僕が一番好きなヤクルトの守護神は林昌勇です。
松田 慎司(まつだ しんじ、1967年12月17日- )
再現年度…2001年(2勝0敗1S 防御率3.21)
・報徳学園ではエースで4番として活躍。甲子園でも準々決勝まで進出した。高校卒業後は西濃運輸に入社、都市対抗の常連として活躍。
・1992年のドラフトで2位指名で日ハムに入団。1年目から一軍に上がり主に中継ぎとして登板。
・1996年、安田秀之・下柳剛との交換トレードで武田一浩とともにホークスへ移籍したものの二年間、一軍で結果が残せず1997年オフに戦力外通告を受けた。
・1998年、ヤクルトスワローズへテスト入団。34試合に登板し、貴重な左の中継ぎとして復活した。2001年には48試合に登板してチームの日本一に貢献。しかし同年を境に登板数が減少。
・2003年にはイースタン・リーグで56試合に登板し、リーグ新記録を作ったがその年限りで現役を引退。引退後はスカウトを務める。
変化球
デフォ能力やら色んなところな査定やら結構調べて比較したところ、投げられる球種多いっぽいです。
例としてデフォ能力の変遷を挙げると、2001決定版ではスライダー2スクリュー2、2002春ではカーブ3フォーク2とかなってます。
動画でピッチングを見た結果、球の軌道と球速からカーブとスライダーは比較的多く投げてる気がしたのでその二つを採用。
大きなカーブが武器とかいう記述があったり、デフォ数作見てもカーブが変化量高めなのでカーブ3。
対ピンチC
対ピンチ判定表を参考に。
対左打者C
先発左腕が多いチームの中でもワンポイント起用されてたことから。
明確な数値も見つからないのでC止まりです。
ポーカーフェイス
2002春デフォ。
まぁいいんじゃね、の精神。
変化球の査定は結構苦労しました。
何個か動画を見て球種の確認をしましたが、採用した球種以外は多分一球しか投げてないと思う、多分スクリュー。
石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )
再現年度…2001年(12勝6敗 防御率3.39)
全般
前年がキャリアハイ。
防御率などから全体的に少しずつ弱体化。
メジャー挑戦前年です。
調べてて気づいたんですが、2001年のヤクルトは結構左腕大国なんですね。
そんな中でもチーム最多の投球回でチーム2位の12勝。
ちゃんとエースしてますね~。
前田 浩継(まえだ ひろつぐ、1976年1月3日 - )
再現年度…2001年(7勝10敗 防御率3.93)
・東福岡高3年の時に甲子園に出場(1回戦敗退)。
・九州共立大学に進学後、福岡六大学リーグで最優秀選手を3回獲得する活躍をみせ、3年時の大学選手権では準優勝。
・1997年ドラフト3位でオリックスに入団。登録名は当時監督だった仰木彬の発案により「ヒロ」となった。
・しかし病気などもあり、2年で戦力外となる。その後テスト入団でヤクルトに移籍。
・2000年は初先発を含み11試合に登板、翌年は初めて規定投球回に到達し、リーグ優勝と日本一に貢献。
以下省略。
変化球
マッスラやツーシームで芯を外すタイプらしい。それらを統合してムービングファスト。
対ピンチC
被打率.290、得点圏では.254。
パワターの目は直感ですぐこれが出てきてしっくり来た。
藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日- )
再現年度…2001年(14勝8敗 防御率3.17)
・高校時代は「伊予の怪腕」と呼ばれ、1年夏に県大会の決勝に進出するも宇和島東に敗れた。1995年春にはキャプテン、エースで4番として甲子園に出場。準々決勝で9回途中に負傷、その試合は何とか勝利したものの、準決勝では登板出来ず敗退。
・早稲田大学に進みエースとして活躍。東京六大学リーグでは通算48試合に登板し防御率1.91という成績を残した。しかし在学中に優勝したのは一度だけだった。
・1999年のドラフトで2位指名(逆指名)でヤクルトに入団。
・1年目は全てリリーフで登板、初勝利も飾った。
・2001年は開幕前に山部太、高木晃次が相次いで故障したこともあって先発に転向。開幕から先発ローテーションに定着した。6月17日の広島戦で初完封勝利。その後も好調を維持した。初の規定投球回到達でセントラル・リーグ最多勝利を獲得、ベストナインにも選ばれた。
2001年の再現なので以降は省略。2014年まで現役だったのでね。
全般
色々調べて決めたので特に書くことはないです。
強いて言えばデフォではチェンジアップなのをサークルチェンジに変えたくらい。
ケビン・ジョン・ホッジス(Kevin Jon Hodges, 1973年6月24日 - )
再現年度…2001年(5勝3敗 防御率3.80)
↓こちらをご覧下さい
ケビン・ホッジス(2002年) 【パワプロ2018 実在】 - カメハのパワプロ2019 ~令和~😼😼
全般
カメハさんの2002年の再現をベースに成績に合わせて調整。
対左打者G
対右が.257に対して対左は.352。
4球種抜きにしてもGつくかもしれないレベル。
カメハさんのブログを読めば万事解決(多分)。
実働2ヶ月で12試合に先発はヤバい。
1978年ヤクルトはまだブログを始める前に作ってたのでこういうことは出来ませんでしたが(そっちはいつか紹介するかも)今回はそのメンバーを投稿していこうと思います。
1978年ヤクルトと同じで最低10試合に出場した選手をまず作ります。あとは作りたい選手がいたら足していく感じで。
今日は4投稿しますが、明日からはまた元のペースに戻ります。
まったりやっていくのでよろしくお願いします。
いつまでヤクルトキャンペーンが続くかは未定。
福地 寿樹(ふくち かずき、本名:福地 和広(ふくち かずひろ)、1975年12月17日 - )
再現年度…2008年(打率.320 9本塁打 61打点)
最近の選手でもあるしセ・パ両方の球団に在籍した選手なので知ってると思って説明は省略します。
対左投手B
デフォ。
その分ちょっとだけミート下げてる。
盗塁B
この年の盗塁成功率だけ見ると盗塁Cまでが妥当だが、翌年は改善していることなどからB。
三振
三振の数自体は90とつけなくてもいいレベルだとは思ったが、三振90に対して四球は29と極端に少なく、追い込まれると弱いみたいなので三振追加。
漠然と2009年辺りのヤクルトが好きなので福地選手はよく覚えてます。
パワプロでもよく使ってた。
ちなみにこの年は1試合だけ一塁を守っているが、通算でも一塁は3試合しか守っていないことと、福地のネームプレートに黄色があるのにすごく違和感があったので適正はつけませんでした。
米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日- )
再現年度…2006年(打率.235 7本塁打 37打点)
・札幌新琴似シニアリーグ、小樽市の北照高等学校を経て、1999年ドラフト3位でヤクルトに入団。
・2年目に一軍初昇格。翌年には初安打を放ち、8月11日の横浜戦で初の先発出場。その試合で初本塁打を放ち、初打点を記録する。8月19日の阪神戦では11回裏2死満塁からプロ初サヨナラ打を放った。
・翌年は一軍出場なしに終わるが、徐々に出場機会を増やしていく。2005年シーズン末に退任する若松勉監督から指導を受け、常に低打率だった打撃面での成長を評価された。
・正捕手だった古田敦也が選手兼任監督に就任した2006年は出場機会が激増。キャリアハイの成績を残す。
・しかし翌年は低迷。スタメンの座を手にすることが出来ず、二軍降格。2008年も満足な出場機会は得られず、2010年6月28日に山岸穣との交換トレードで西武に移籍。
以下省略。
全般
基本はパワプロ13決定版ベース。
走力、肩力
現役最終年である2016年のパワプロのデータでは走力D55肩力B73。
モロ身体能力なところなので晩年より全盛期の方が低いというのも違和感があったのでそれよりも高く。
守備力、捕球
守備率から捕球を下げて、その分の補填として守備力を上げた。
送球Fもあるので盗塁阻止率はそこまで高くならないはず。
チャンスB、対左投手F
デフォ。
明確な数値は見つけてない。
何か"裏切りの後継者"とか言われたりしたみたいけどさ、古田の後継者って期待されて緊張とかしない方が無理な話だよね。
デフォそのままにしたとはいえ、キャッチャーがチャンスBとチャンスメーカー持ってるの何か不思議な感じがする。
ついに、ついに投打が噛み合った!
中4日ながら原樹理がほぼ完璧なピッチング!
初回から打線が繋がり大引の先制点となる走者一掃タイムリーツーベース!
我らが"KING"バレンティンのホームラン!
一軍昇格直後の石山も得点圏にランナーを置きながら最小失点に抑えるピッチング!
筒香にツーベースこそ打たれたものの守護神梅野がきっちり0点に抑える!
ヒットは相手の方が多かっただけに大事なところで一本が出たこちらに軍配が上がりましたね。
原選手は指を気にしてマウンドを降りたのでそれが大事ではないことを祈ります。
明後日は札幌ドーム!
高梨選手が古巣相手に好投を見せてくれることでしょう!
去年の交流戦覇者として今年も勝ってこの連敗分を取り返してくれ!
追記
1.明日は4投稿します
2.明日からは2001年ヤクルトキャンペーンとして、2001年バージョンの選手たちを投稿していきます
3.このような試合後の振り返り記事は今後書くかもしれませんが、毎試合書くとは限りません。
以上。
安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )
再現年度…1973年(10勝12敗 防御率2.02)
説明不要!
変幻自在
↓偉大なる先輩のお言葉
僕は変幻自在のない安田は安田じゃないと思ってる
— G党ペッペ@パワプロ村筆者 (@giantsfanPeppe) 2019年5月30日
最初はつける勇気はなかったです。
まぁペッペさんもこう言っているわけだしつけて良いか、と。
球持ち○
週刊ベースボール1973年12月3日号のインタビューで王貞治への攻め方について「たまには足を上げないでそのまんま、速いモーションでパッとほうるとか、グーッと一回ためて、要するに同じフォームでスピードを落とし、あるいは速くすることと(以下省略)」と、王さんには絶対タイミングを外すべきと語っている(別冊ベースボール球団別セレクションヤクルト編に収録されてるのでそれ読んで)。
これこそ球持ちだと思うんですよ。
そもそも1つの球種でもスピードの差で3種類投げ分けてるって言うんだから打ちにくいでしょ。
回またぎ○
リリーフ中心でありながら投球回200回越え。
ちょっとどうなってるのか分かんない。
負け運
この年は防御率2.02ながら負け越しているため負け運をつけたいところだが、この年以外に負け越したのは防御率6.26と振るわなかった1979年のみ。
通年で見たときに似合わない能力だと思い削除(変幻自在コンボと両立するのが無理ゲー過ぎたのも大きいけど)。
安田猛を作ろうかな~みたいなツイートしてたらペッペさんが変幻自在の話で反応してくださったので作りました。
『がんばれ!!タブチくん!!』は家にあるけど読んでません。いつか読みます。