台湾球界のエース
陳 義信(チェン・イーシン、ちん ぎしん、Yi-Hsin Chen, 1963年8月15日 - )
再現年度…1989年(3勝1敗 防御率5.29)
・台湾ナショナルチームのエースとして地元での人気が高かった義信の中日入団が発表されたのは1988年11月。既に中日には"台湾の英雄"郭源治と、入団が決まっていたジョージ・ヒンショーがおり、第三の外国人選手になってしまうということから台湾の地元記者からは批判の声も上がっていた。
・1989年はヒンショーのケガにより一軍昇格を果たし、救援登板で3勝を挙げた。翌年は二軍で最優秀勝率に輝いたが、外国人枠の壁は破れず退団。
・1991年からは1990年に創立されたCPBLの兄弟エレファンツでプレー。エースとして兄弟の黄金期を形成し、在籍6年間でMVP2回、最多勝2回、最優秀防御率1回の活躍だった。
査定
全般
CPBLでの活躍も踏まえて能力は気持ち高めに。
コントロール、一発
制球がいい分痛打される場面も目立ったらしい。
スタミナ
CPBL在籍中は年間平均で200イニング以上投げてる。
変化球
おそらく日本時代はスライダーとシュートの2つのみ。キレがいいとかの記述もありそれっぽい気がしたのでHシュートに。
CPBLではさらに落ちる球なんかも覚えている。
対ピンチE、対左打者E
通年要素込み。
対左は年度によって変わるが若干弱い。
ノビE
奪三振率は低めで、あくまで打たせて取るピッチャーの模様。
リリース○
本格派要素。腕が柔らかかったみたいな話もあった。
国際大会○
ローマで行われた世界選手権で優秀選手賞、ソウル五輪でも18 1/3回を投げて防御率1.47だったらしい。
一言
初めて国際大会○をつけた気がする。
ずっと作ろうと思っていた選手。