プロ野球史上最も漢字名の長い選手
赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日 - 1969年8月22日)
再現年度…1948年(2勝3敗 防御率2.64)
・秋田商業を経て、法政大学に進学すると、東京六大学野球で活躍を見せる。その後、社会人野球の秋田コンマーシャルクラブ、帝国石油を経て、1948年に急映フライヤーズに32歳という新人選手としては高齢で入団。
・1年目は二軍の「急映チックフライヤーズ」の監督を兼任しながら一軍で12試合に登板し2勝を挙げる。2年目は未勝利に終わり、この年限りで引退。
・プロ野球引退後、高校野球指導者として嵯峨健四郎、石戸四六、佐々木吉郎などを育て上げ名を馳せた。
・1969年8月22日、13年の闘病生活、4度目の発作で、53年の生涯を終える。
査定
全般
大学時代が一番よかったっぽい。
球速、重い球
剛球投手だったらしい。
一番よかった時期を過ぎていることから雰囲気で。左腕補正もかけた。
変化球
情報が見つからなかったので当時のメジャーな球種を採用(適当)。
対ピンチB
いつも通り82さんの対ピンチ判定表から。
回復E
登板が少ないとは思うが、二軍監督兼任ということを考慮してEで。
一言
ごく稀に(自分の企画で)こういう昔の選手作ることがあるんですが、毎回査定が難しくて苦しんでます←
今回の査定もかなり正確性に欠けてますし。
今日もラグビー見る。