子連れ入団のオールドルーキー
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )
再現年度…2007年(3勝5敗 防御率4.83)
・智辯和歌山高時代、1996年には春・夏連続して甲子園に出場。春はチームは準優勝するも登板機会が無く、夏は初戦にリリーフ登板するも敗退。高校時代のMAXは142km/h。
・その後本田技研工業に入社して鈴鹿野球部に所属。1999年にシドニーオリンピック代表候補選手としてプロキャンプに派遣され、広島東洋カープのキャンプに参加した。
・広島にも在籍していた吉本亮コーチの助言のもと、フォームをスリークォーターに変更してから球速が150km/h以上を記録するようになり、キレも増したことから遅咲きながらプロ入りへの道が拓けた。
・2006年11月6日、鈴鹿市内で記者会見し広島入りを表明。広島が希望枠(逆指名)で選手を獲得するのは2002年の永川勝浩投手以来4年ぶりとなった。入団時既に妻子持ちで、プロ野球では珍しい子連れ入団であった。
・2007年3月31日、開幕2戦目の阪神戦でリリーフとして初登板。同点の7回裏に登板し打者2人を続けて打ち取るも、四球と長打で2アウト二・三塁のピンチを作り降板。後を継いだ佐竹健太が2連続四球で失点し、敗戦投手となる。プロ2戦目の4月4日の横浜戦では同点の6回表に登板し、プロ初勝利を挙げた。
・その後4戦連続してリリーフ失敗し、防御率10点台で二軍に落とされた。しかし二軍で課題の落ちるボールを習得、フォームを調整し、約1ヵ月後に再び一軍昇格。先発ローテーションに入ってからはまずまずのピッチングを続け、9月29日の阪神戦では、自己最多となる7回2/3を2失点で投げ、先発初勝利。先発にリリーフにと重宝されて31試合に登板し、3勝を挙げた。
・2008年、前年の秋季キャンプから投球スタイルの変更に取り組み、自慢の球威を落として制球力向上を図った。オープン戦ではまずまずの投球で開幕一軍で先発ローテーションの5番手に入ったが、先発投手としてのスタミナが無いことなどが露呈し、シーズン後半には、前田健太など他の若手先発投手の活躍に押し出される形で二軍に降格。1年目の成績から、ほとんど全ての数字を下げた。
・2009年は5月に一軍に登録されたものの登板の無いまま二軍へ降格。再昇格もなく3年目で初の一軍出場が無いシーズンとなった。二軍では先発ローテーションを任されたが、防御率5.49は規定投球回数に達した投手ではリーグ最下位だった。
・その後も二軍では登板したものの一軍戦に出場することはできず、2011年10月13日球団より戦力外通告を受け、現役を引退した。
・現在は永和商事ウィング硬式野球部で投手コーチを務める。
査定
全般
パワプロ14決定版ベース。
スタミナ
少し高かったかもしれない。
一言
巡り合わせによってはもっとプロで活躍出来たんじゃないかなぁと思いました。