「アベボール」と呼ばれる変化球を武器にリーグ優勝に貢献
安部 和春(あべ かずはる、1940年4月7日 - )
再現年度…1963年(10勝1敗 防御率1.75)
・1959年、杵築商業高校在学中に西鉄ライオンズの入団テストに合格し入団。杵築商業高校から博多高等学校に転校し日曜日のみ2軍の練習に参加した。
・その後、1962年に一軍初登板を記録するも右手を故障。この故障をきっかけに「アベボール」と呼ばれる変化球を開発した。この「アベボール」は微妙に変化する変化球であった。翌年は中継ぎを中心に10勝し、西鉄のリーグ優勝に大きく貢献した。
・その翌年も先発・中継ぎ双方をこなして11勝と2年連続で二桁勝利をあげた。
・1965年は、再び中継ぎ中心の登板に戻る。同年オフにトレードで阪神に移籍。移籍後も中継ぎを中心に登板し投手陣を支えた。1969年は1試合の登板に終わり、同年オフに現役を引退した。
査定
スタミナ、回またぎ○
平均投球回は単純に計算して2.7回だが、リリーフ登板して最長8イニングを投げたこともあった模様。
翌年も考慮しつつ雰囲気で。
アベボール
「ツーシームのような小さく動く球」という記述と「故障した親指を使わないようにしたカーブ」という旨の記述の二通りが見られた。
「落ちる球がよかった(落ちた)」のような話も多く見られた(シンカーの話だった可能性もあるけど)のでカーブ系に決定、親指を使わないということも考慮してドロップカーブをベースにし、あくまで小さく動く球ということで変化量は落とし、球速などはツーシームに合わせた。
正直、どうすれば正解なのかは分からない。
スロースターター
先発登板3回(どれも3回までで降板だった気がする)。
リリーフで8イニング投げた実績もあるのに先発登板が少なすぎる。
失点を確認すると3回の失点が一番多かったが、先発適正↓の意味合いも込めて追加(その次に失点が多いのは2回)。
一言
オリ変持ち実在選手シリーズは一旦ここまでです(正確にはもう一人作成予定だけど何回かオリ変継承が上手くいかなかったり赤本が揃わず失敗してモチベが消えかかってるのでそれで一区切りになる予定)。
まだあったら教えて欲しい。