西崎幸広との投手戦を制した完封勝利がプロ唯一の勝利となった、夏の甲子園優勝投手
背尾 伊洋(せお よしひろ、1973年8月15日 - )
再現年度…1996年(1勝2敗 防御率3.67)
・1992年、大阪桐蔭高校で和田友貴彦とダブルエースとして夏の甲子園に挑む(和田はプロ入りせず)。背尾は控え投手であったが、星稜高校戦の準決勝で先発。当時2年生で4番を任されていた松井秀喜も無安打に抑える好投を見せ、松井も後のインタビューで「甲子園で印象に残った投手」として背尾の名前を挙げている。
・沖縄水産高との決勝では和田が先発したが、その和田が崩れ途中登板。乱打戦となったが、背尾が相手打線の勢いを止める好リリーフを見せ、13-8で初の全国制覇を果たした。
・1991年にドラフト5位で近鉄に入団。アメリカ留学も経験した。
・4年目に斎藤雅樹を参考にし、投球フォームをオーバースローからサイドスローに変更。これにより投球に安定感が生まれ、8勝5敗1Sでウエスタンリーグ制覇に貢献した。この年のファーム日本一決定戦でも9回1失点の力投を見せた(守備の乱れで点を失い、無援護のまま完投負け)。
・1996年、5度目の先発。優勝マジック8が点灯しているオリックスの相手投手はエース西崎幸広。ピンチを作りながらも粘りのピッチングを見せ、完封でプロ初勝利を挙げた。
・その後巨人に移籍も、一軍登板はなく2000年に戦力外通告を受け引退。
査定
球速
どっかで見つけた(どこかは忘れた)。
スタミナ
二軍で先発した試合では基本的に長いイニングを投げていたっぽい。
唯一の勝利が完封でもあるので少し高めに。
回復F
単純に一軍登板が少ない。
調子極端
サイドスローに転向してからは安定感が生まれたらしいが、完封を除けば一軍での登板機会はほとんど物に出来なかった。
一言
何度でも言いますが、僕はこういう選手が好きです。
登板が少ない分、情報集めも大変ですが。
お気に入りの選手です。