ID野球を吸収し、本塁打王にも輝いた愛すべき助っ人
ドゥエイン・サミュエル・ホージー(Dwayne Samuel Hosey , 1967年3月11日 - )
再現年度…1997年(打率.289 38本塁打 100打点)
・1987年のMLBドラフト13順目でシカゴ・ホワイトソックスに指名され、契約。
・1994年にはAAA級オマハ・ロイヤルズで好成績を残し、アメリカン・アソシエーションMVPを獲得した。
・1997年にルイス・オルティス(全く活躍できず1年で退団した)と共にヤクルトに入団。
・来日当初は、粗いスイング、稚拙な走塁、弱肩が露呈し、野村克也監督などから「ただ明るいだけの選手」「外人選手がね、どういう事でああいう小粒の選手を連れてきたのか分からないんですけど、こちらの希望とは違ったものが出てきましてね」と酷評される。当時日本ハムの落合博満には「こんな史上最低の助っ人見たことない」とも言われた。
・しかしミーティングに積極的に参加し、コーチ陣を質問攻めにするなど、野村監督のID野球を積極的に吸収し、投手の癖などをメモしたノートは2冊まで及んだという。
・その甲斐あってかシーズン開幕後は打ちまくり、調子の波こそあったが、松井秀喜を抑えて本塁打王を獲得した。
・翌年は故障や他球団から徹底的にマークされたこともあり13本塁打に終わり退団。
・大変明るい性格で、自分に「太郎」という日本名をつけるなど周囲の人々を楽しませた。
査定
守備能力
下手だった。せっかくなので調べて出てきた査定の中でもっとも低い数値を採用。
走塁E、盗塁F
足は速いが、走塁・盗塁の技術自体は低かった。
パワーヒッター
本塁打王。
スイッチヒッターなのでプルヒッターや広角打法は採用せず。
意外性
日本シリーズで止めたバットに当たったボールがフェアゾーンに転がり、三塁走者の宮本慎也がホームインし同点に追い付いた(記録は捕野選)というプレーがあり、「秘打」とも言われた。字面採用。
ムード○
底抜けに明るい。
一言
ヤクルトの助っ人外国人ランキング野手部門のトップ5争いに食い込めると思う。
多分バレンティン、ラミレス、ペタジーニでトップ3を争うだろうからホーナーやオマリー、マニエル、ロバーツ辺りとの争いになるね。
あとサクセススキルがないとはいえパワフェスで能力G2つ&カレン&三振コンボを両立するという超苦行をやりきったことを褒めてほしい。