移籍1年目に抑えとして活躍
古溝 克之(ふるみぞ かつゆき、1963年11月14日 - )
再現年度…1994年(7勝2敗18S 防御率2.20)
・福島商業高3年生時に春夏連続で甲子園に出場。春は1回戦で、夏は清水雅治のいた浜田高を延長10回の熱戦で降し1回戦を突破するが、秋田経大付高の松本豊投手に抑えられ2回戦敗退。
・卒業後は、社会人野球の専売公社東北に入社。早くから注目され、都市対抗野球にも出場。1984年のプロ野球ドラフト会議で阪急から2位指名を受けて入団。
・切れの良い速球派として1986年シーズンには一軍に定着し、6月には初先発を果たす。翌年は開幕から先発投手陣に加わり、1988年シーズンには自己最多の10勝を挙げるものの、以後は低迷。
・1993年シーズンオフに渡辺伸彦との交換トレードで阪神へ移籍。速球に加えて左右の揺さぶりで勝負するようになり、移籍1年目の1994年シーズンは故障離脱した田村勤に代って抑え投手に定着、自己最多及びリーグトップの61試合に登板し7勝18セーブを記録する。翌年はオールスターゲーム出場も果たした。その後は便利屋的に幅広く起用されるが、徐々に登板機会が減少。
・1998年シーズンオフにチームの若返りで自由契約となり、日本ハムへ移籍しストッパー候補となるもチームが開幕から低迷し、早々に若手主体に切り替わり出番がなく、複数球団の入団テストを受けたがいずれも不合格に終わったことを理由に同年シーズンオフで現役を引退。
査定
緩急○
左右の揺さぶりを表現。
一言
阪急時代は先発メインだったので回またぎ○はつけませんでした。