おるとおらんでは大違い
ダグラス・レーガン・オルト(Douglas Reagan Ault、1950年3月9日 - 2004年12月22日)
再現年度…1981年(打率.307 18本塁打 59打点)
・1969年から1970年にかけて、メジャー数球団からのドラフト指名をことごとく拒否。大学卒業後の1973年にようやく地元のテキサス・レンジャーズと契約。1976年にメジャー初昇格。
・1977年に新球団のトロント・ブルージェイズに移籍。同年4月7日のシカゴ・ホワイトソックスとの開幕戦でチーム第1号を含む2本塁打を放った。
・1981年に阪神に入団。長距離砲かつ日本野球に対応した柔軟なバッティングで入団1年目に長打率が.509、打率も.307をマークしたが、骨折もあってわずか1年で解雇された*1。
・引退後はブルージェイズ傘下3Aシラキュースの監督などを務めた。
・2004年12月22日に自殺。原因については、現在もはっきりとした原因はわかっていない。
査定
対左投手C
左に強かったらしいが、左投手から放った本塁打は2本とかなのでC止まりに。
一言
阪神らしい不遇な助っ人感。
*1:何故