二年生で春の甲子園優勝投手、肝炎に悩まされ1試合のみの登板
永川 英植(ながかわ えいしょく、1956年6月23日 - 1991年7月15日)
再現年度…1977年(0勝0敗 防御率9.00)
・1974年のドラフトでヤクルトスワローズに1位指名される。
・ドラフト指名当時は定岡正二(鹿児島実)、土屋正勝(銚子商)、工藤一彦(土浦日大)と共に「高校四天王」と呼ばれた。
・しかし度重なるフォーム矯正や肝炎による体調不良により実力を発揮出来なかった。
・1980年4月25日に肝炎のため任意引退、その後家業の焼肉店を継いでいたが、1991年7月15日に肝臓癌のため神奈川県横浜市保土ヶ谷区の病院で亡くなる。35歳という若さだった。
査定
球速
「エースの松岡弘より速い」「球速は江川、球威は永川」という情報あり。
松岡弘の球速がおそらく153km/hで、江川卓(当時大学生)の球速が155km/h辺りのはずなのでその間を取って154km/h。
コントロール、スタミナ
甲子園、プロでの登板での情報とデフォルトの高卒ルーキーを参考に決定。
相変わらずの感性査定。
重い球
「球速は江川、球威は永川」から。
江川の球質は軽かったようだが、江川と比べられるほどだった永川の素質を表すために重い球を追加。
速球中心
プロでの唯一の登板の際はストレートしか投げていなかったという。
一言
当時の期待も含め、成長タイプは超晩成にしてあります。
エースとして育て上げよう!