1億助っ人を返らせた近鉄の環境
ドナルド・ウェイン・マネー(Donald Wayne Money, 1947年6月7日 - )
査定
弾道3、パワーヒッター
「ティー打撃で音を聞いただけでも、本物だとわかる。スペンサー(元阪急)のようなバッティング」と語ったのはこの年広島から移籍してきた加藤英司。
初アーチは「まさに、大リーガーという痛烈な打球」と形容された。
本質的には中距離ヒッターだが、衰えがあってもなお当時の日本では指折りのシャープなスイングだった。ということで迷いつつもパワヒ付与。回復Fにしたし。
ケガE、回復F
満足に働けるほど心身両面に余裕がなかった。
精神面の負担はわざわざここでは書きません。
キャンプがアメリカよりも早い時期から始まるのはよく日米の差として語られるが、マネーもここに悩まされた一人。
外国人選手としては珍しく合流早々にフリー打撃も行ったが、気温が5度しかない中での(久しぶりの)プレーは37歳の身体には相当堪えるものとなり、すぐに持病の腰痛で離脱することに。それでも早くに復帰が出来ればよかったが、本人が「立ったり座ったりしても痛むことがある。昔は、4~5日じっとしていればすぐ治ったが、今回は自分でもわからない。最悪な状態だ」と語っており、日本の気候(とキャンプ時期)によって腰爆弾が限界を迎えたと見るべきでしょう。
カメハさんがつけてたから…でもない(カメハさんのスゴさを実感するやつ)。
ホワイト(元巨人)が「技術的にはローボールヒッターでチャンスに強い」と語ってたのでつけた。それだけ。
選球眼
打てる球を打つというシンプルなスタイルだったはずだが、日本の投手の変化球もそこまで苦にせず、四球も多い。
威圧感………?いや、そこはパワヒあるし…
一言
内野ならどこでも守れた人ですが、最後にショートの守備についたのは1978年なのでさすがにつけませんでした。Gに出来るなら…?
マネーの退団で代わりに獲得したのがデービスってのもスゴい。面白すぎる近鉄の助っ人史。
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