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福嶋久晃【パワプロ2018】

 

プロゴルファーの娘を二人持つ強肩強打の捕手


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福嶋 久晃(ふくしま ひさあき、1947年4月10日 - )

再現年度…1978年(打率.249 15本塁打 46打点)

 

PL学園高校時代に投手から捕手へ転向し、2年生エースの加藤英治とバッテリーを組む。1965年に春の選抜へ出場するが、準々決勝で敗退。同年夏は予選準決勝で敗退した。

・1965年のドラフトで広島から8位指名を受けるも拒否し、社会人野球の大昭和製紙に入団。

・1966年にドラフト外で大洋へ入団。

・1967年9月7日の巨人戦で初出場。二軍では1968年のイースタン・リーグ優勝に貢献したほか、1969年には打率.339でイースタン・リーグ首位打者を獲得。1970年には伊藤勲、大橋勲に次ぐ三番手捕手として一軍に定着。同年は打力を活かし、一塁手三塁手として15試合に先発出場(捕手としては1試合のみ)。1972年に名前を「久」から「久晃」に変更した。

・1975年には正捕手の伊藤と併用され62試合に先発マスクを被る。同年は10本塁打を放ち、それ以降6年連続で2桁本塁打をマークする。別当薫が2期目の監督に就任した1977年には伊藤から正捕手の座を奪い、翌1978年にはキャリア唯一の規定打席に達する。

・1976年、1977年、1981年にはオールスターゲームに出場。1982年からは辻恭彦・加藤俊夫との併用になったが、1983年からは若菜嘉晴の加入で出場機会が減少し、1984年には一塁での起用が主となる。1985年に広島へ移籍し、右の代打としても活躍したが、同年限りで現役を引退。

 

・その後は1986年は広島の二軍バッテリーコーチ補佐、古葉竹識が監督に就任したのを期に大洋へ復帰。1987年から1989年まで一軍バッテリーコーチを務めた。

・退団後は横浜市港南区港南台でフランス料理店「バレーヌ」を経営していたが、2013年に閉店。娘・晃子のキャディーを務める傍ら、晃子・浩子姉妹のマネージメントを行う「インタープレイス」株式会社の代表取締役会長でもある。2009年からは株式会社「エバーケア」を設立し、代表取締役に就任。

・2016年にアマチュア野球指導資格を回復し、岡山県関西高等学校でコーチを務めている。

 

査定

肩力

1975年は盗塁阻止率.500を超えてたらしいが雰囲気で。

走塁B

走力のわりに二三塁打が多いかなと。

サヨナラ男

サヨナラ安打の記述がWikipediaに出てきてたしいいかなと(適当)。

 

一言

娘二人がプロゴルファーって、シンプルにスゴいよね。