「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」
ジェフリー・ポール・マント(Jeffrey Paul Manto , 1964年8月23日 - )
再現年度…1996年(打率.111 0本塁打 1打点)
・1985年のMLBドラフト14巡目(全体355位)でカリフォルニア・エンゼルスから指名され、プロ入り。1990年にクリーブランド・インディアンスで初めてメジャーに昇格した。以降マイナーとメジャーを往復する生活が続いていたが、1995年にはボルチモア・オリオールズで三塁手の定位置を獲得。
・1996年1月26日、巨人に入団。年俸はそれまでの2千万程度から1億5千万円に跳ね上がる。武上四郎打撃コーチは「(本塁打を)70発は打つだろう」と評価したが、オープン戦から低迷が続いた。これを受けて、当時オーナーの渡邉恒雄が二軍降格を提案するが、当時の長嶋茂雄監督が「彼はテンプル大学出身だから、大丈夫でしょう」と(謎の)擁護をし起用を続ける。しかし結局成績は向上せず、外国人選手枠との兼ね合いで4月23日に解雇された。
・巨人でマントが記録した1打点はセンターへの犠牲フライであった。実況担当者は「さすがメジャーのパワーですね」と言ったが、解説者は「ほかの打者なら軽くスタンドに入っている」とコメントした。あまりの低調ぶりに、渡辺オーナーは「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」と言い捨てた。
・巨人から解雇された直後にボストン・レッドソックスに移籍したが目立った成績を残すことが出来なかった。以降、重複を含めて7球団もの移籍を繰り返し、2000年シーズンを最後に現役を引退した。
・引退後はメジャーで打撃コーチやフロント職に就いている。
・渡辺オーナーの発言や解雇の早さが目立つため、クソ助っ人扱いされることも多いが、投手以外ならどこでも守れるという強みを持っており、さらに性格はよくアドバイスも上手かったらしい。チームへの貢献度や周囲からの尊敬もあったため、AAA級バッファロー・バイソンズ時代に付けていた背番号30はマイナーリーグとしては異例の永久欠番ににっている。
査定
基礎能力
前後年を見て調整。
これでも結構抑えてるつもり。
調子極端も検討したが、メジャー時代を見てもそこまで調子のムラはなさそうだったのでつけなかった。
守備適正
日本では三塁しか守っていないが、本来はどこでも守れる。
捕手の守備についたのは1993年が最後なので捕手適正のみなしで。
チャンスF、対左投手B
MLB時代を参照。
対左はCでもいいかとは思ったが、通算でも対右.202 対左.272で無視できない差だったのでBに。
インコースヒッター、三振
打撃不振の助っ人にはインコースヒッターつけとけば大抵はしっくりくるからやっぱり対変化球×も欲しいな
— 怨霊(´・ω・`) (@glasses_ghost) 2020年5月11日
外角の変化球を打てなかった助っ人は多いからどうしてもね
一言
言うほどクソ助っ人か?と思いました。
ガルベス、マックがいてさらにマリオを獲得するためとはいえいくらなんでも不遇すぎる。