当時現役の関脇・高見山の従兄弟
フレッド・マヘレ・クハウルア(Fred Mahele Kuhaulua、1953年2月23日 - )
再現年度…1978年(3勝4敗 防御率4.32)
・1977年にカリフォルニア・エンゼルスに昇格、3試合の登板にとどまったが3Aでは9勝5敗の成績をマークし、1978年に中日に入団。当時現役だった大相撲力士・高見山の従兄弟ということで話題になった。
・開幕直後に来日し二軍で初登板して白星を挙げたが、投球内容では首脳陣の期待に応えられず、一軍初登板は4月30日まで無かった。威圧感に欠けるフォームで、スピード不足で権藤博二軍の投手コーチも「球威がない」と前途多難を匂わせていたが、一軍昇格後に当時の投手コーチだった稲尾和久の指導を受け、手先だけで投げていたフォームから体全体を活かしたフォームに改造。すると、投球内容が若干向上し、9月22日の巨人戦で完投勝利をあげるなど、先発ローテーションに入って3勝を挙げた。しかし、翌年に向けて新外国人打者(ギャレット弟、ジョーンズ)を補強する方針のため、この年限りで解雇され退団した。
・2年後の1981年にはサンディエゴ・パドレスに移籍し、同年9月から主に先発として大リーグ復帰を果たした。10月1日のドジャース戦では8イニングを無失点に抑えてメジャー初勝利をあげた。この試合が現役最後の登板となり、その後引退した。
査定
球速
前評判は140km/hを超えると言われていたが、蓋を開けてみると出ても130km/h後半ほど。
しかし稲尾和久の指導により140km/hを投げられるようになったとか。
コントロール
与四球率は高いがノーコンって感じもしない。
スタミナ、回またぎ○、スロースターター、調子極端
完投はあるがスタミナはそこまではなさそう。絶好調でもなければ7回持つかどうか。
完投分は調子極端で対応。
先発時の失点は1~3回に3/4ほどが集中しているためスロースターターも追加。
回またぎ時は失点が少なく、中継ぎ時の11自責点のうち2イニング目以降のものは2自責点だけ(多分)。
変化球
フォークボールは独学で覚えたという蛇行した軌道を描きながら落ちるという独自のもので一番の武器。ここは安直にフォークの落ち方をするナックルに。
オリ変にしたことを考えると変化量4以上は少し強すぎる気がしたので得意だったらしいスライダーとカーブを統合してスラーブに、シュートも追加して変化量を調整。
対ピンチE
調整用。
大量失点することもあるのでそれを表現するため。
連投もそれなりにこなしているので打たれ強さではなくこちらで。
対左打者B
被本塁打から。
右 6本 左 2本 両 1本
人気者
高見山の従兄弟+性格も真面目だった。
一言
クハウルアという言葉の響きが頭から離れなかったので作りました。