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金子誠一【パワプロ2018】

 

和製カンセコ

 

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金子 誠一(かねこ せいいち、1964年7月23日- )

再現年度…1993年(打率.241 5本塁打 16打点)

 

東北高校では、1982年にエース、中心打者として甲子園に春、夏と連続出場を果たす。春の選抜では1回戦でPL学園の榎田健一郎と投げ合うが敗退。夏の選手権も、1回戦で熊本工の奥村高次、野村裕二のバッテリーに抑えられ惜敗した。

・法政大学に進学し、東京六大学野球リーグでは在学中4回の優勝を経験。しかし1学年上の西川佳明や同期の猪俣隆、石井丈裕ら好投手が多く登板機会には恵まれなかった。1985年秋季リーグから外野手に転向するが、4年時の1986年春季リーグ直前にぎっくり腰となり、その後の野球人生に影を落とす。しかしこの春季リーグでレギュラーに定着、四番打者としても起用された。

・卒業後社会人野球の本田技研に進み、都市対抗に2年連続出場、その長打力を注目される。

・1988年ドラフト3位で阪神に入団。「和製カンセコ」(KANEKOにSを加えるとKANSEKOになるため。日刊スポーツなどで取り上げられた)と呼ばれ、長距離打者として期待される。

・1年目の1989年から一軍に定着し、主に右翼手として23試合に先発出場。翌1990年も30試合に先発するが打撃面で伸び悩む。その後は右の代打として起用されるが、1993年には序盤に新庄剛志が故障欠場したこともあり、30試合に先発している。その後は出場機会が減り、1995年限りで現役引退。

 

・引退後はソニー生命保険に入社し保険の営業マンに転身した後、2008年に独立し、生命保険・損害保険代理店である株式会社FPスタジアムを設立し代表取締役社長を務めている。

 

査定

基礎能力

強肩俊足で大柄な体に似合わず守備には定評があったとか。

ケガしにくさF

慢性的な腰痛。

アウトコースヒッター

右打ちが上手かったみたいな情報があったが、成績的にもタイプ的にも流し打ちは合わないと判断しアウトコースヒッターに。

 

一言

ホセ・カンセコ - Wikipedia