「ブンブン丸」
池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )
再現年度…2001年(打率.192 4本塁打 12打点)
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池山 隆寛(2000年) 【パワプロ2018 実在】 - カメハのパワプロ2019 ~令和~😼😼
査定
全般
カメハさんの池山隆寛(2000年)を参考に成績に合わせて能力を調整。
ムード○はデフォあり。
一言
低打率でも長打率.411は流石。
三木 肇(みき はじめ、1977年4月25日 - )
再現年度…2001年(打率.127 1本塁打 3打点)
・上宮高校時代は高校通算23本塁打を記録した強打者として知られ、1995年のドラフト会議で福留孝介(近鉄が指名権獲得)・澤井良輔(ロッテが指名権獲得)と、くじに敗れたヤクルトが1位指名(外れの外れ1位)をして入団。
・2001年には79試合に出場するも、シーズン打率は2割を切り、首脳陣の評価を得るには至らなかった。
・2002年以降は城石憲之の台頭や、野口祥順の成長、田中浩康らの入団もあり、内野手の控えの地位すらも固められないシーズンが続いていた。
・2004年にスイッチヒッターに転向。
・2008年にトレードで日ハムに移籍、プロ初となるお立ち台も経験し、10月23日に引退。
・その後は日ハムとヤクルトのコーチを経て今年から楽天の二軍監督を務める。
全般
2016とかのデフォOBデータを参考にしつつ。デフォだとメインポジが遊撃になっているが二塁手として出ている試合の方が(通算で見ても)普通に多いのでそこだけ変えた。
二軍監督やってるの普通にすごいと思う。
小野 公誠(おの こうせい、1974年7月11日 - )
再現年度…2001年(打率.213 2本塁打 6打点)
・1996年にドラフト4位でヤクルトに入団。
・1997年7月20日の巨人戦で三澤興一からプロ初打席初本塁打を放つ。
・当時は古田敦也が絶対的な正捕手だったため、一軍出場はほとんどなかったが、2001年に35試合に出場し、二番手捕手の地位を固める。
・2005年に自己最多となる62試合に出場も、その後は故障や米野智人などの台頭もあり一軍出場が激減。
・2008年10月12日に引退を表明。同日の横浜戦、同点で迎えた8回裏代打で出場。牛田成樹から決勝ソロ本塁打を放ち、NPB史上初の「プロ初打席と最終打席両方で本塁打を打った選手」となった。
・現在はコーチなどを経てフロント入りしている。
意外性
NPB史上初となる「プロ初打席と最終打席両方で本塁打を打った選手」要素。
エピソードある選手が多いね。
アレキサンダー・ラモン・ラミレス・キニョーネス(Alexander Ramón Ramírez Quiñónez, 1974年10月3日 - )
再現年度…2001年(打率.280 29本塁打 88打点)
全般
特に言うことなし。
スノーブPさんの査定をめちゃくちゃ参考にさせていただきました。
ラミレス(2001)
— スノーブP (@SnowbuP) 2019年6月2日
4DBDDEF
チャンスE 対左C 盗塁E プルヒッター 内野安打〇 満塁男 三振 エラー 強振多用 積極打法
内野安打数は知らんけどデフォルトであるので適当に
いつの間にか帰化してたのね。
古田 敦也(ふるた あつや、1965年8月6日 - )
再現年度…2001年(打率.324 15本塁打 66打点)
肩力、送球B
この年の盗塁阻止率は見つけられませんでした(5割は切ってる)。
しかし前年は6割超えを達成しています。
極端な話誰も盗塁仕掛けてこなければ盗塁阻止率なんて…って話なので前年の6割超えの肩を少し弱体化することでよしとしました。
古田補正。
追記
見つけました(.488)。
まぁ前年から企画数が30も減ってるのでね…
球界の頭脳
まぁいいでしょ。
アベレージヒッター
デフォ。
本塁打も多くはないしいいでしょ。
併殺
この年は17併殺、つけないわけにはいかない。
というか通算で見てもそこそこ多いと思うよ。
天才の入部届めちゃくちゃ無駄にしてしまった。
まぁこれ以降天才の入部届使うような選手はほとんど作らないと思うし良しとしよう。
ロベルト・アントニオ・ペタジーニ・エルナンデス(Roberto Antonio Petagine Hernandez、1971年6月2日 - )
再現年度…2001年(打率.322 39本塁打 127打点)
オルガ夫人とは離婚したらしい…
っていうのはガセだったみたいね
肩力、守備力、捕球、送球E
よく意外と守備は上手かったと言われてるよね。
ただ送球に関しては悪いイメージもあったので、それも踏まえながらこの辺りに着地。
チャンスB
得点圏打率的にはCで止めたいところではあったが、イメージがあったので(もしかしたら得点圏で本塁打稼いでる可能性もあるし)思いきってB。
プルヒッター
広角のイメージもあるけど本塁打方向が左21% 中21% 右59%らしいので追加。
威圧感
つけるの大変だった。
三振、選球眼
選球眼はよくて四球が多いけど三振も多い。
三振が多い年と四球が多い年を交互に行き来してる。
歴代助っ人ランキングで普通に上位に来る辺り流石。
バレンティン・ペタジーニ・ラミレスの3人の順位は悩むよね、世代も反映されそう。人によってはホーナーの方が上とかガイエルが一位って人もいそうだし。
我ながらよくやってる。
今のところ毎日投稿も出来てるしね。
2001ヤクルトキャンペーンは一軍埋める人数分投稿したら一旦終わる予定です。
スタメンが完全に固定されてたので控え野手陣の査定が普通に難しいし。
その後はまた以前のように適当に投稿していくと思います。
まだ東北高校軍団完成しきってないしね。
特にアクセス数とかの目標を立てているわけでもないし、毎日投稿も出来れば続けたいな~くらいの軽い気持ちでやってるので急に投稿しなくなったりするかもしれません。
まぁこれからもまったりやっていきます。
真中 満(まなか みつる、1971年1月6日 - )
再現年度…2001年(打率.312 7本塁打 36打点)
扇風機の人。
ヘッドスライディング
デフォ。
デフォならしゃーない。
一度だけ解説席にいる真中さんを生で見たことあります。
ファンに向けて手を振ったりいい人オーラが凄かったです。
あと女性ファンからの「かわいい~」の声も結構あった気がします、うろ覚えだけど。
島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )
再現年度…2001年(0勝2敗 防御率2.91)
優勝に貢献した横浜時代を作ってる方が結構いるので説明は割愛。
スタミナ
投球回<登板数なので低めに。
変化球
横浜時代も参考に決定。
ええ感じやん?
山部 太(やまべ ふとし、1971年1月4日 - )
再現年度…2001年(4勝2敗 防御率3.76)
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【パワプロOB再現】山部太(1995年・ヤクルト) - 東海ちなヤクの巣(忍者の里から)
全般
ほぼデフォ。
軟投派モデルチェンジ要素として緩急○つけたくらい。
スライダーも普通に持ち球らしいが防御率から追加しなかった。
↓それについてはこちらをご覧下さい
山部 太 (2003年) 【パワプロ2016 実在】 - カメハのパワプロ2019 ~令和~😼😼
作った当時寝ぼけてたのか、背ネームと音声が「やまべ」ではなく「やまのべ」になってます、どうしたんだ。
そもそもいるかは分かりませんが、もしダウンロードされる方はお手数ですがご自分で「やまべ」に変更してください。
なぜこんなことになってしまったのか。
まぁサクセスが下手な上に楽したいという気持ちもあって無駄に使ってしまってるんですが。
2001年ヤクルトキャンペーンで選手を作ってるなかで、天才の入部届使って作った選手が宮本慎也、古田敦也、岩村明憲の3人いてですね、宮本さんは一回で作れましたが、岩村さんのときは一刀のやつがホーム突入を勝手につけやがってですね、さらに古田さんのときに関しては出井田の評価が上げきれず球界の頭脳取れなかったのが2回(継承選手いれたりしたけど)微妙に噛み合わず技術Pが足りなかったのが1回あってですね、あとラミレス作るときに楽しようと思って使ったら捕球上がりすぎたりしてボツになって、合計で5枚もの天才の入部届を無駄にしたんですよ(長文過ぎる)。
現時点で天才の入部届を入手する方法はほぼないはずなのでサクセス下手でオンストも出来ない身としてはちょっと厳しいんですよね。
パワフェスはパワフェスで事故りやすかったりするので頼りきることも出来ない(古田さんの場合、球界の頭脳と併殺の二つのコンボを両立しなきゃいけない上に能力値的に技術Pが足りるかも怪しかった)ので天才の入部届をどっかしらで入手できるようにしてほしいんですよね…その方が確実に心に余裕が持てるようになる。
期待は出来ないけど。