広島を初優勝へと導いた助っ人
ゲイル・イーソン・ホプキンス(Gail Eason Hopkins , 1943年2月19日 - )
再現年度…1975年(打率.256 33本塁打 91打点)
査定
OPSとかからしたら2年目がキャリアハイだけど、印象値考えたらこっちだよねぇ。
翌年も大いに考慮しての査定にしたつもりではあります。
守備
足が遅いため範囲自体は広くなかったと思われるが、二塁手(大下)と連携したポジショニングで補っていた。
ケガしにくさE、回復B
大きなケガや離脱こそないが、日本に来たときには既に体を痛めていたようだ。
それでいて1年目はフル出場。だけでなく医学の勉強も怠らなかった(午前は大学で実験してからナイターへみたいなことも)。
本来一塁手に回復Bがつくことはほとんどないが、「鉄人」衣笠にも認められたタフネスぶりを称えて。
対変化球○
特に明確な根拠とかはないんだけど、日本野球への適応力と優れた頭脳と(あと三振の少なさ)を表すにはいいかなぁと。
強振多用
本来はなくていいけど一応1年目ベースなので。
一言
ただただ査定が難しかった。