アルバイトの現役メジャーリーガー
レオ・パトリック・カイリー(Leo Patrick Kiely , 1929年11月30日 - 1984年1月18日)
再現年度…1953年(6勝0敗 防御率1.80)
・当時はまだイースタンリーグもなく、在京球団のファームでは球団間での試合の他に米軍基地のチームとの練習試合も行っていた。朝霞基地のチームと対戦で現役のメジャーリーガーであるカイリーの存在を知った毎日は、一日十万円*1という破格の待遇で軍務の勤務時間外だけ投げるという契約を結んだ。
・圧倒的な実力を誇ったカイリーは登板した試合全てで勝利を挙げ、毎日の逆転優勝すらありえた状況だったが、朝鮮戦争の休戦協定が調印されたことで除隊が早まり、シーズン終了までプレーする予定だったところが9月3日に帰国してしまった。
・「勝率3割を切った場合罰金」という罰則があったこともあり、駐留軍人として日本に滞在していた野球選手がアルバイトとしてプレーすることは他にもあったが*2、カイリーが格の違いを見せつけたこともあり、この年限りでアルバイト選手の契約は禁止されることとなった。
査定
変化球
持ち球はドロップとスクリュー。決め球はスクリューだったらしいが、シュート(ナチュラルシュートも含む)という記述もそれなりに見られた。
かなり評価が高かったためオリ変で表現。
シンカーをベースにシュートとの中間くらいにして強化。
対左打者C、内角攻め
決め球のスクリューは左打者がのけぞるように内角に食い込んでいきながらストライクになる。死球の数を見ても厳しく内角に投げ込んでいたと思われる。
また、実際にメジャーでの成績を見ても左打者に強く、日本でも左打者には本塁打を許していない。
キレ○
速球派ではなくキレで勝負する投手だった。
一言
特能盛りすぎてもアレだなぁと思っていたのに気づいたらわりとたくさんついてた。どれも外せないと思ったから仕方ないね。