日本プロ野球初の黒人選手
ジミー・ボンナ(Jimmy Bonna, 1906年9月18日 - 没年不詳)
再現年度…1936年秋(0勝1敗 防御率9.90 打率.458 0本塁打 1打点)
・大東京軍オーナー、名古屋軍代表の田中斉が秘策として用意していた米国選手の入団。アメリカの知人に頼んでとったという選手がジミー・ボンナだ。
・当時はまだ黒人選手の大リーグ入りは認められておらず*1、独自のリーグ(ニグロリーグ)を結成していた。ボンナはそこで5年間プレーしており、三振記録も打ち立てたという快速球や内野ならどこでも守れるという万能さなどが高く評価されていた。
・初練習では噂に違わぬ実力を見せ、選手兼任監督だった伊藤勝三に称賛され、他の選手たちもたちまちに圧倒された。
・しかし、初登板でいきなり伊賀上良平に満塁本塁打を打たれるなど公式戦では制球に苦しみ、投手としては4試合で見切りをつけられてしまった。打撃では実力を発揮し好成績を残したが、大金をはたいて獲得したということもあって期待に添えたとは言えず、11月18日に退団した。
査定
全般
『広告を着た野球選手 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦』という書籍を中心に査定しました。
球速
「このアンダースローにコントロールがついたなら現在の職業野球の打撃力では一寸打ちこなす事は難しいでしょう」と言われた快速球が一番の武器。
速球派アンダースローのロマンも込めて140km/h。
スタミナ
初登板の試合では9失点ながら6回を投げたようなので悩んだが、まぁ時代的なアレもあるだろうということで高くはしなかった。
変化球
「ググウと強肩からくり出す熱球はガクンと鋭いドロップに、シューと見事なカーブ」
また、実践では先述の快速球は見る影もなかったということなので半速球的な役割も兼ねてチェンジアップも。
野手能力
出場も少ないので全体的に控えめにした。
内野はどこでも守れたらしいが、公式戦で三塁についたことはないので適正は低く、一番出場の多かった二塁適正を最大に。
送球G
まぁ………ね。
アベレージヒッター
通算打率についての評価で、球聖タイ・カッブと比較されたほどだったということからそれ相応の箔をつけた。
固め打ち
出場7試合で猛打賞2回。打撃力強化。
積極走塁
記録した三塁打はランニングホームランを狙って本塁で刺されたものらしい。
一言
オンスト様々やでぇぇぇぇ!!!←
なんやかんやありましたが、前々からパワプロ2020で最初に投稿したいと思っていた選手だったので作れてホッとしてます。
*1:ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューが1947年