「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界。」
シクスト・ホアキン・レスカーノ・クラス(Sixto Joaquin Lezcano Curras , 1953年11月28日 - )
再現年度…1987年(打率.217 3本塁打 7打点)
・1970年にミルウォーキー・ブルワーズと契約。1974年にメジャーデビュー。1979年には打率.321 28本塁打でゴールデングラブ賞を獲得するなど、メジャー通算1122安打、148本塁打の実力者だったが、ピッツバーグ・パイレーツに在籍していた1986年は夫人の病気の看病の為プレーしていなかった。
・1987年の開幕直後に横浜に入団し、来日。前年にまずまずの活躍を見せたダグ・ローマンを追い出してまで入団させたが、前年のブランクに加えて、メジャーでも度々トラブルを起こしていたことから、獲得を疑問視する声も少なくなかった。5月10日の対読売ジャイアンツ戦で水野雄仁、斎藤雅樹から1試合2本塁打を放つまではまずまずだったが、その後、22打席連続無安打の不振に陥り、5月末に「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言って現役引退を表明し、退団。
査定
基礎能力
ブランクがあったことも考慮して(特に技術面は)辛めに。
野手の査定がわりと久しぶりだったのもあってわりと雰囲気。
チャンスF
メジャー通算打率.271に対し通算得点圏打率.254と少し低い。これだと下げるとしてもEだが、メンタルの弱さを表現するためにもFに。
ちなみに入団前の1985年を見ると打率.207に対して得点圏打率は.143。
送球E
ブランクあった分。
守備率が結構低いので捕球Fに加えこちらも下げた。
インコースヒッター
何か青特を入れたかったので。
これまた「比較的」の話にはなるが左投手に比較的強く、技巧派も比較的得意にしている。
フルスイングするバッティングスタイルから内角には比較的強いと判断。
また、22打席連続無安打を喫した理由として外角のスライダーなどの変化球に弱い傾向があると気づかれたというのもあったらしい*1。
一言
明けましておめでとうございました。
だいぶ遅くなったしまいましたが気にしている人はいないでしょう。
Twitterでアンケート取って当初はスティーブ・コックスを作るつもりだったんですが、小雪が仕事しないせいで失敗して嫌になったのでレスカーノを作りました*2。
wikiの方もろくにページ作れてないし色々頑張りたいと思ってます。