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行沢久隆【パワプロ2018】

 

守備と家庭料理の達人


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行澤 久隆(ゆきざわ ひさたか、1953年7月11日 - )

再現年度…1984年(打率.270 9本塁打 30打点)

 

・PL高校では2年の夏に甲子園に出場したが、東海大相模に敗れ準優勝となる。同年秋の岩手国体では優勝したが、翌年の甲子園では初戦敗退だった。

・その後中央大学に進学し、東都大学リーグでは3度の優勝に貢献するなど、活躍した。

・1975年のドラフト2位で日ハムに入団、一年目からレギュラー争いに加わった。

・1979年シーズン途中にトレードで西武に移籍。当時の西武にはレギュラー遊撃手がおらず、大原徹也広瀬宰らと交互に試合に出場する。1981年にはスティーブの一塁コンバートの影響で三塁手に回される。1984年には山崎裕之の衰えもあって主に二塁手として起用され、自己最高の好成績をあげた。その後も内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして重宝され活躍、地味ながらも西武の黄金時代造りの一翼を担う。1988年限りで現役引退。

 

・引退後、15年間にわたり一軍打撃、二軍打撃、二軍守備走塁コーチを務め、松井稼頭央中島裕之ら米国でプレーした選手も育て上げた。その後2007年からは球団編成部・プロ担当に転身した。

・2010年、西武二軍監督に就任。2012年10月1日、本人から今季限りで辞任したい旨の申し入れをして球団が了承したため、退任した。

 

・2013年、日本経済大学職員となり、2014年2月に同大学の硬式野球部の監督に就任。

 

査定

守備力、守備職人

守備が上手かったという記述が多かった(気がする)。

 

一言

何故球団公式の氏名表記は行澤久隆になっているのか。