名手飯田を生むキッカケにもなった助っ人
ジョン・コーネリアス・レイ(John Cornelius "Johnny" Ray , 1957年3月1日 - )
再現年度…1991年(打率.299 11本塁打 51打点)
・1979年のMLBドラフト12巡目でヒューストン・アストロズに指名され契約。1981年にはピッツバーグ・パイレーツに移籍し、同年メジャーデビュー。
・1987年にカリフォルニア・エンゼルスに移籍。翌年はMLBオールスターゲームに選出される。
・1991年にヤクルトに入団し、来日。二塁手としてはメジャー時代から守備面の評価は低く、ヤクルトも外野手として使うつもりで獲得したが、レイ本人がそれを「聞いてない」として外野転向を拒否。仕方なく当時スワローズの二塁手だった飯田哲也を外野にコンバートすることになったが、飯田は球界を代表する外野手に成長。偶然の産物とは言え、結果としてレイの入団が名手飯田を生むきっかけとなった。同年はまずまずの成績を残すものの、翌1992年は極度の打撃不振に陥り、シーズン途中で解雇され、帰国した。
査定
走塁B
1991年最多二塁打。
走力をB以上にするのは何か嫌だった。
一言
名手飯田が生まれるキッカケになっただけでそれ以外に特にエピソードがないです。
MLBオールスターに出たこともあるんだしすごい選手だと思うんだけどね。