松坂大輔など多くの選手に信頼され、WBCではブルペン捕手ながら胴上げを経験した選手
小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 -)
再現年度…2005年(打率.200 0本塁打 1打点)
・川崎市立平間中学校では中本牧リトルシニアに所属、1995年全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップで優勝。シニア日本代表に選抜される。
・横浜高校では上地雄輔に代わり正捕手となり、3年時は渡辺元智監督に任命された主将として松坂大輔とバッテリーを組み、1998年の甲子園春夏連覇及びかながわ・ゆめ国体で優勝を果たした。中村順司前PL監督が指揮を執る第3回AAAアジア選手権大会日本代表では寺本四郎・杉内俊哉・久保康友・上重聡ら松坂以外の投手からも全幅の信頼を置かれ優勝に貢献。
・亜大でも主将を務め、2002年の大学選手権、明治神宮大会で優勝。4年生の夏には山中正竹法政大学野球部監督が指揮を執る第1回世界大学野球選手権日本代表にも選出され3位入賞。
・大学卒業後は社会人野球のJR東日本に入社。JR東日本硬式野球部に所属して第74回都市対抗野球大会に出場し、翌年の第75回都市対抗野球大会では鷺宮製作所硬式野球部補強選手として出場。その後、2004年のドラフト会議で中日ドラゴンズから8巡目で指名され、下位指名ながら8000万円という破格の推定契約金で入団。
・ルーキーイヤーの2005年、即戦力として期待され一軍に昇格。5試合に出場してプロ初安打、初打点を記録。2006年はわずか3試合の出場であったが、日本シリーズ有資格者にも選ばれた。2007年は一軍ではわずか1試合の出場で二軍でもルーキーの田中大輔が正捕手として定着した為、出場機会も減少。2008年は一度も一軍に昇格することなく、オフに戦力外通告を受け現役引退、ブルペン捕手へ転身。
・2016年より一軍捕手コーチに就任したが、開幕わずか3試合目で小川将俊と入れ替わる形で二軍バッテリーコーチに配置転換された。2017年は育成コーチを担当する。
・2017年11月29日、中日ドラゴンズ育成コーチを退任し、編成部スカウトとなることが発表された。3年ぶりに現場復帰。
査定
人気者
WBC優勝後のシャンパンファイトでは、イチロー、松坂、稲葉篤紀、城島健司、岩隈久志に続いて、周りの「ヨシオ」コールの中で小山も胴上げされた。この事について松坂は、「大会中自分の他、ピッチャーの球を受け続けた彼が胴上げに値すると、投手陣が当然の感覚として湧き上がった気持ちだと思う。」という旨をテレビの取材で告白している。
一言
この人がいなければ松坂は帝京に行っていたかもしれないんですね、知らなかった。