残りの60試合で10勝と自信たっぷりだったが1勝も出来ず
フランク・エドワード・マンコビッチ(Frank Edward Mankovitch, 1937年3月12日 - 2011年3月27日)
再現年度…1962年(0勝0敗 防御率3.72)
・ピッツバーグ大学を中退して、1957年6月にボルチモア・オリオールズと契約。1、2年目は同球団傘下でのちのルーキーリーグに相当するクラスDで登板する。
・1959年にはクラスCのアバディーン・フェザンツに属したが、先発出場にこだわったため逆に活用されず、シーズン途中にセントルイス・カージナルス傘下に移籍し、クラスAに昇格する。翌1960年はクラスAAのリトルロック・トラベラーズに属した。
・1961年10月からはノースカロライナ州のフォート・ブラッグ陸軍基地で兵役に就いたが、軍のチームに属して野球も続けていた。本人によれば、軍では7戦7勝、打撃でも活躍し、410フィート(約125メートル)のホームランを打ったこともあったという。
・1962年、大毎に在籍していた捕手テスタの推薦で近鉄入りが計画され、準備も進んでいたがAAという経歴と除隊手続きが進んでいなかったことから中止となり、テスタのいる大毎に入団することになった。
・ファミリーネームが日本語で下品な意味を連想させることから登録名をマニーとした。
・7月31日の阪急戦で初登板を果たすも安定せず、たいした結果を残すこともなく1年で解雇となった。
・退団後しばらく消息不明だったが、DT&Sエンタープライズというアパレル会社の経営やらをやってたらしい(他にもマンコ・エンタープライズという会社を立ち上げたとか)。
査定
全般
知恵袋が情報源。
球速
本人曰く、来日前年にスピード測定器ではかったときは88だったらしい。
そのまま持ってきた。
コントロール、リリース○
調べた感じゴロPぽかったのでそれらしく。
与四球こそ多いけど制球は悪くはなかったみたい。
スタミナ、回またぎ○
これでも結構高めにしてる。
リリーフで4イニング投げたりとかあったらしいので回またぎ○を調整用に追加。
先発では5回ギリもたない感じっぽい。
変化球、シュート回転
本人談でナチュラルシュート、シンカー、スライダー、ドロップが出てきてた。
ナチュラルシュートはシュート回転、あとは雰囲気で。
カーブはあまりよくなかった様子。
打たれ強さF
味方が点を取ってもすぐ取り返されたり。
一言
不定期開催クソ助っ人シリーズ。
顔は唯一見つかっためちゃくちゃ粗い写真から雰囲気で作成。
それなりに似てるよね…? pic.twitter.com/pH5zvf4ebr
— 怨霊(´・ω・`) (@glasses_ghost) 2019年6月27日
音声が存在しなかったのでよびかたはフランクになってます。