細身でタフなサウスポー
中条 善伸(なかじょう よしのぶ、1962年4月12日 - )
再現年度…1987年(2勝0敗1S 防御率3.99)
・中学校時代はドロップボールを駆使し、チームを東北中学校野球大会優勝に導くなどして活躍した。
・高校時代はエースとしてチームを4季連続で甲子園に導く活躍を見せたが、1979年春~1980年春の大会では四球病に苦しんだ。最後の舞台となる1980年夏の大会では2戦連続で完封を挙げたが、3回戦で接戦の末に破れた。
・1980年オフに巨人にドラフト外で入団。
・1983年に一軍初登板、主として中継ぎで起用されるが、初セーブもあげている。
・翌年も中継ぎとして21試合に起用される。
・1984年オフに金城基泰との交換トレードで南海に移籍。
・同年の南海は投手陣に年間を通じて一軍に登録し続けている左腕投手が1人もいない状態であったため、大きなカーブを軸に貴重な中継ぎやワンポイントリリーフとして重用された。しかし、細身の体で怪我が多く、それ以上の飛躍はできなかった。
・1987年に自己最多の48試合に登板するが、翌年から低迷。チームの福岡移転後は登板機会もなく、1989年オフに自由契約となった。
・1990年に、横浜大洋ホエールズにテスト入団も一軍登板はなく、同年オフに戦力外通告を受け現役を引退。そのまま同球団打撃投手に転身。
・1994年から古巣巨人に打撃投手として復帰。その後はスコアラーを務める。
査定
球速
142km/hという記述と136km/hという記述の2つがあった。その2つの間を取って139km/hに。
ノビD、緩急○
今回の査定で一番迷ったところ。
普段は奪三振率を参考にしてノビを決定しており元々はノビFだったが、球のノビとカーブのキレが良かったという記述もあったので、ノビについての査定を見直し。
もちろん一概に奪三振率で判断できる能力ではないとはいえ、リリーフで奪三振率2.54はかなり低い。
と思いながら感性査定を全開にノビをDまで上げ、ノビとキレを統合して緩急○を追加。
対左打者C
ワンポイント起用も多かった。
ケガしにくさF
再現年度は48試合に登板しているが、高校時代からの持病や細身の体であったことなどでケガが多かったらしいのでF。
リリース○
速球とカーブのコンビネーションを活かした投球だったっぽい。
緊急登板○、回またぎ○
ワンポイントやったりロングリリーフやったり。
それだけ重用されてたってことは首脳陣に信頼されてたってことだと思って追加。
軽い球
本塁打率から。
ノビとかの能力分の調整の意味合いもある。
調子極端
抑えたり抑えられなかったり。
ノビとかの能力分の調整の意味合いもある(2回目)。
一言
ノビの査定難しいです。奪三振率で判断しているのは「奪三振率が高い(低い)のは直球や変化球の質が良い(悪い)から」だと考えているからなんですが、感性査定も大事ですよね。