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若生智男【パワプロ2018】

 

在籍した3球団全てでリーグ優勝を経験した通算121勝投手


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若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - )

再現年度…1967年(8勝7敗 防御率2.14)

 

東北高校時代は若生智男・若生照元と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。

・1956年に毎日オリオンズに入団。同年8月23日の阪急戦で初登板。9月3日の大映戦では先発に起用されるが、5回途中で降板。

・1957年8月18日の大映戦でプロ初勝利を挙げ、10月の東映3連戦では2勝を記録。1958年は再び0勝に終わったが、1960年に初の2桁勝利となる13勝を挙げる。球団2度目のリーグ優勝に貢献し、大洋との日本シリーズでは第2戦と第3戦に登板。1962年には自己最多の15勝を挙げるが、1963年に故障。

・1964年に小山正明山内一弘の「世紀のトレード」に並行して、マイク・ソロムコと交換で阪神タイガースに移籍。同年は5勝にとどまるが、南海との日本シリーズでは第1戦と第5戦に登板。

・投手王国・阪神では、先発と中継ぎの両刀使いで活躍し、首脳陣から重宝される存在だった。

・30歳を超えてからは球威が増して江夏豊古沢憲司と3本柱を形成。1969年にはオールスターゲームに出場し、甲子園の第2戦で2番手登板。

・1970年からは投手コーチを兼任し、1973年に再び選手専任となる。

・1975年には安仁屋宗八とのトレードで広島東洋カープに移籍し、先発ローテーションの谷間を埋めて初優勝に貢献。阪急との日本シリーズでは第2戦と第5戦に登板。

・1976年に現役を引退。

・大毎・阪神・広島でリーグ優勝を経験しており、3チームから日本シリーズに出場。これはプロ野球史上初めてであったが、日本一には1度もなれなかった。

 

査定

球速

OB査定をしているサイトから。

基本的にそのサイトベース。

スタミナ

中継ぎ中心ながら完投4回。

翌年は1回に減るがさらにその翌年は8回。

中継ぎ中心だったためちょっとだけ低めに。

というか中継ぎ中心の選手にスタミナAは違和感しかなかった。

対ピンチB

同じくOB査定サイトから。

力配分

昔の投手だから。

 

一言

「東北の三若生」の一人。

最初調子安定つけて作ったけど、つけるならもう2年くらい後の再現だと思って作り直しました。

回またぎ○つけてもよかったなぁ。