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若生忠男【パワプロ2018】

 

"ロカビリー投法"で一世を風靡した、ノーヒッターの一人


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若生 忠男(わこう ただお、1937年8月22日 - 1998年)

再現年度…1966年(12勝3敗 防御率1.54)

 

東北高校時代は若生智男・若生照元と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。

・1955年に西鉄ライオンズへ入団し、3年目の1957年には先発陣の一角として起用され9勝を挙げる。

・背番号が見えるくらい全身を捻り、下手投げからキレの良い変化球を投げる「ロカビリー投法」で一世を風靡した。

・1960年には初の2桁勝利となる13勝をマークし、1963年には12勝を挙げてリーグ優勝に貢献。

・1964年8月30日の東映戦では先発登板するが、主審に暴言を吐いたり土を蹴散らすなどして退場処分となった。

・1966年7月15日から17日の阪急戦では3日連続で救援勝利を記録。同年は3年ぶりの2桁勝利となる12勝を挙げ、防御率1.54の好成績を記録。

・1967年9月17日の阪急戦(西宮)ではノーヒットノーランを達成。

・1968年には通算100勝を挙げるが、シーズン成績は4勝12敗に終わる。

・オフに巨人に移籍。3勝を挙げ日本シリーズでも登板するが、足の故障もあり1970年限りで引退。

 

査定

球速

さすがに分からん。

時代と下手投げだということを考慮して138km/hにした。

速くはなかったみたい。

スタミナ

再現年度に無四球完封が1回。

再現年度翌年にノーヒットノーラン

ただ、リリーフでのイニング数が明らかになったので先発時の平均投球回を計算したところ、だいたい4~5回と判明。

特能での調整もしたのでちょっと控えめにC60で。

フォーム

↓こういうこと

対ピンチB

この年好成績を残せたのはピンチでも粘り強く投げれるようになったから、という情報があったので。

防御率的にもつけていいと判断。

ノビF

奪三振率が低い。

変化球を強めにした分の調整の意味合いもある。

尻上がり、力配分

翌年のノーヒットノーランなどを考慮。

力配分は昔の投手にはだいたいつけていいって聞いた。

内角攻め

最多与死球3回。

外角に集めてから内角で仕留めたりと有効に使っていた。

回またぎ○

基本的にリリーフでは2~3イニング投げてる。

短気

超が3個つくほどの短気だったらしく、

キレたらベンチにボールを投げ込んだりするレベルだったらしい。

 

一言

こんなに昔の選手は査定するの苦手だけど、東北高校軍団には必ず入れたいので頑張りました。

「東北の三若生」全員を作りたかったんですが、若生照元選手だけは登板数が少なかったので出来ませんでした。

しかし東北高校軍団は投手層が厚いわ。