パワプロのやつ

外国人選手好きのパワプロブログ

デーブ・ロバーツ【パワプロ2018】

 

王貞治をも脅かした長距離砲


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デビッド・レオナルド・ロバーツ(David Leonard Roberts, 1933年6月30日 - )

再現年度…1969年(打率.318 37本塁打 95打点)

 

・1952年にプロ入り。数球団を渡り歩いた後の1962年にヒューストン・コルト45'sでメジャー初出場を果たした。その後、ピッツバーグ・パイレーツを経て1967年にサンケイアトムズへ入団。

・同僚のルー・ジャクソンと共に弱小であったアトムズ打線を支え、特に長打率はリーグトップクラス。本塁打王争いでも独壇場であった王貞治の牙城を度々脅かしたが、タイトル奪取は叶わなかった。

・特に1969年は8月半ばまで三冠王期待されていたが、8月20日の巨人戦でベースカバーに入ろうとした投手と塁上で衝突し負傷、復帰に3週間を要し結果タイトルは一つも取れなかった。

・同年9月18日の阪神戦では1試合3本塁打を放ち、外国人選手としてはNPB最速の通算100号本塁打を記録している。

・1973年、チームがジョー・ペピトーン(ヤクルト史上最悪のダメ害酷人)を獲得したことに伴いロバーツはシーズン途中で近鉄バファローズへ移籍。近鉄ではわずか2本塁打しか打てず、同年オフに引退・帰国し、その後はマイナーリーグのチームで打撃コーチを歴任した。

 

査定

全般

特に言うことなし。

時代が時代だから情報が少ないのもある。

人気者

Wikipediaより「日本文化に積極的に溶け込もうと努力し、NPB在籍中は大きなトラブルも起こさずチームメイト・首脳陣からの信頼も厚く「日本人以上の日本人」と言われていた。シーズンオフには帰国せずに上智大学の聴衆生として英文学と数学の授業を受講していた。」

こういうこと。

ムード○だと弱小であるはずのチーム全体に影響を及ぼしちゃうのでこっちに。

 

一言

ルー・ジャクソンと共にJR砲とも呼ばれたヤクルト球団史の中でも初期の頃の外国人選手です。

王貞治の牙城を脅かしたんだから大したもんだよね。