パワプロのやつ

外国人選手好きのパワプロブログ

ヤムチャ(ドラゴンボールZ,超)【パワプロ2018】

 

消えろ かっ飛ばされんうちにな。


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ヤムチャヤムチャ、エイジ733 3月20日(?) - )

 

ドラゴンボールZ第10話、ドラゴンボール超第70話で野球をしているヤムチャを作りました、ちゃんと両方見てきました。

・それ以上の説明は………いらないよね。

 

能力

球速

肩を見ながら適当に。

まぁ悟空やらベジータやらは規格外なので。

コントロール

別にコントロールは良くも悪くもないと思うので適当に古谷徹さんの体重と同じ数値に。

スタミナ、パワー

同じ亀仙流でも悟空の影が付きまとって目立てない(適当)。

変化球

オリ変は超から狼牙風風投球拳を。

自在に操ってバット躱すことが出来るので本来無敵、でもパワプロでそんなことはできないのでナックルを思い切り強化しました。f:id:glasses_ghost:20190811062445j:image

スラーブはボタモに投げた3球目がそれっぽい軌道だったので。

対ピンチF、一発、寸前

ヤムチャだし…

打たれ強さB

しつこい。

クイックG

しなさそう。

あとこの発想もアリだなと思いました、まだまだだなぁ。

奪三振

ボタモとキャベ二人とも三球三振。

打球反応○、短気

Zでは一応ちゃんと武道家としての闘争心みたいなのが残ってたので乱闘の方が好き(超では狼牙風風投球拳を見た18号に「あいつ もう武道家じゃないな。」と言われてましたが)。

野手基礎能力

まぁそれっぽく。

打撃フォーム

超ではわりと普通の構えだったが、Zではほぼ片手だけの居合い抜きのようなフォームで打ちまくっていた。

面白いのでZでのフォームを採用。

チャンスB

アルバイトでは活躍するほどギャラが弾む、普通の地球人のボールを打つことは余裕みたいなのでチャンスではよりちゃんと打つはず。

対左投手C、パワーヒッター、固め打ち

ワールドリーグとかいう舞台で背番号100のエースっぽい相手左腕から3打席連続本塁打

その本塁打は全方向に一本ずつ。

ケガしにくさA

第六宇宙チームの猛攻(守備)に耐え抜いた。

盗塁B

元盗賊だし、試合でもベジータからちゃんと盗んだ(悟空の打球がサードライナーになったため帰塁するはめになったが)。

ホーム突入、ヘッドスライディングf:id:glasses_ghost:20190811010853j:image

サヨナラ男

「み… みんな… 違う意味で サヨナラしちゃうか… も…。」

 

エラー

ヤムチャだし…

守備適正

Zでは守備位置不明、背番号も00。

アルバイトの助っ人(打撃専門?)なのでDHだと予想。

超では背番号5だが、6人でやっていたため守っている位置自体はショートの位置に近かった。

ということでサードとショートを適正最大に。

 

一言

それなりの自信作です、ちゃんとZと超の野球回を見たし。

こういうネタ系の選手もちょいちょい作っていきたいと思ってます。

 

さっそくカメハさんのとあるチームへの加入が決まったので楽しみです…と書いてる間にそのチームの記事がアップされてました、早い…。

無駄に30分くらい苦労して作ったパワターを評価してもらえたのでよかったです。

安部理【パワプロ2018】

 

西武黄金期を支えたシリーズ男


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安部 理(あべ おさむ、1962年12月19日 - )

再現年度…1988年(打率.263 8本塁打 49打点)

 

東北高校では、一塁手として甲子園に4度出場。「東北の掛布」の異名を持つ強打者だった。

・1980年のドラフトで、西武から4位指名を受けて入団。入団後は二軍暮らしが続いたが、1983年のアメリマイナーリーグサンノゼ・ビーズへの野球留学を経て、1987年6月13日の対南海ホークス戦でプロ入り初本塁打となる満塁本塁打を放ち頭角を現す。同年の日本シリーズではAK砲の後続の5番打者を任され、1988年の初アーチも満塁本塁打を放つなど、チャンスに強いバッティングを遺憾なく発揮し、一躍全国のファンに名前を売った。

・西武黄金時代にはレフトの準レギュラー、代打として黄金時代を支えた。ペナントレースでは不振でも、日本シリーズでは打ちまくり「シリーズ男」と言われた。特に巨人の桑田真澄に強かった。

・チームの若返りに伴い1996年オフに戦力外通告を受け、近鉄バファローズの入団テストを受けて合格。藤井寺球場近辺の寮で単身赴任しつつ若手選手を育て、1997年は好成績を挙げ復活した。近鉄では主に一塁手や代打として活躍、吉岡雄二が台頭した1999年限りで現役を引退。

・現役最終試合は9月23日の西武ドームにおける古巣・西武戦であり、試合終了後、西武・近鉄両軍ナインが安部を胴上げして18年間にわたる現役生活への別れを労った。その為、この胴上げは多くのプロ野球ファンを感動させた。

 

・2017年4月から高千穂大学硬式野球部監督に就任。

 

査定

満塁男

まぁ、いいかなって。

 

一言

選手としても人気があって若手選手の育成も出来る人ってそうはいないよね。

岡部明一【パワプロ2018】

 

和製ソレイタと期待された未完の大砲


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岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )

再現年度…1988年(打率.236 11本塁打 36打点)

 

PL学園高校では、1980年夏の甲子園府予選準々決勝に進出するが、近大附高に惜敗。卒業後は中央大学へ進学。東都大学リーグでは在学中優勝に届かず、1984年秋季リーグでは二部降格も経験。しかし強打の外野手として活躍し、1983年の中央大学選手賞を獲得した。同年の日米大学野球選手権大会にも出場した。

1984年ドラフト3位でロッテオリオンズに入団。入団当時和製ソレイタと評価され即戦力として期待される。しかし、1986年に右肘を故障。オフに軟骨の除去出術を受けるが、術後も成績は振るわず1987年オフには早くもトレード要員に名前が挙がる。交換要員の関係でトレードは流れ、1988年には52試合に先発出場を果たし、11本塁打を記録する。しかし打率は低迷し、翌年から西村徳文が外野手に回ったこともあって出場機会が減少。1993年11月に戦力外通告を受け現役引退。

 

・引退後はロッテスカウトに就任、2005年に退団した。

 

査定

選球眼

どこかは忘れたけど良かったみたいなこと書いてあったはずです。

 

能力

かつて「和製○○」を集めてチームを作ろうかと思ったことがありますが、メンバー集めに苦労してやめました。

キリ番を収められない話

 

通算10000アクセスありがとうございます


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いやね、毎回毎回ゾロ目とか10000とかみたいなキリのいい数字狙ってるんだけどね、悉く納められないんですよ。

 

まぁそんなことよりようやく通算10000アクセス到達です、ありがとうございます。

一日辺りのアクセス数は別にそこまで増えてないのでアレですが、それでも嬉しいですね。

 

ストックはまだあるにはありますがいつか言ったように一軍出場が少ない選手とかが多いので余裕はそんなにないです。

でも出来る限り毎日更新は続けていこうと思ってます。

 

10000記念で何かキャンペーンやろうかと考えましたが何も思い付かないのでやるかどうかは分かりません、アイデアくれたら採用するかもしれない(適当)。

 

以上。

Type-D(オリジナル)【パワプロ2018】

 

相手のバットをへし折るためだけに開発された悲しきロボ投手


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Type-D(タイプ D、製造番号:pDJB-58)

 

ダイジョーブ博士とはまた別の、とある野球科学者が開発したpDJBというシリーズのうちの一体。

・pDJBというシリーズは彼の手によって作られたものだが、それはダイジョーブ博士が作ったDJB-78のデータを独自の技術でハッキングしコピーしたものをベースに、DJB-78そっくりに作った盗作(plagiarism)のDJBである。

・彼は試行錯誤を重ねながら、さまざまなタイプのロボ投手を作ってはテストし、また改良してを繰り返して理想の投手を作ろうとしていた。しかし、ハッキングは出来ても0からロボ投手を作り上げることが出来ない彼はバッテリーやメモリの限界に直面し、行き詰まってしまう。

・そんな中、半ば投げやりで開発したのが「打者のバットを粉砕する」ロボ投手である。

・ベースとなるDJB-78から球速とスタミナを落とすことで消費電力を削り、その分の電力を球を重くすることにつぎ込む。さらに変化球を捨て、直球の回転数を落とすことで細かい調整に使われていたメモリを削り、内角に正確に投げ込めるように改良する。こうして生まれたのがType-Dである。

・ベースからかけ離れたセッティングにしたため、バッテリーの充電にかかる時間の改善は出来ず、投球以外のスペックも落とすことになってしまった。

・だがこのType-DもDJB-78が元となっているため「野球が楽しい」という感情を持ってしまっていた。しかし自らの親がこれ以上苦しまないようにするには自分に与えられた力をただ100%発揮し続け、少しでも有益なデータを後継機に残すという使命を全うするしかない。

・Type-Dは彼のため、感情をその冷たい鉄の身体の奥にしまい込み、今日も淡々とバットを粉砕していくのであった…

 

能力

全般

上述した通り。

球速安定とポーカーフェイスは本家そのまま。

 

一言

長々と書いてますが細かいところはほとんど書きながら考えました。

元々は室伏広治をモデルにした「陸上競技をやってたけど始球式でものすごい球を投げたのがきっかけでプロ入りした選手」を作りたいなぁと考えてたのが、設定も固まらんわ赤本も集まらんわで諦めてました。で、ふと思い立って設定を練り直して今に至るというわけです(?)。

継承はめんどくさいので怪物球威とオリ変は真っ当にイベント進めて取りました、頑張った。

こういうこともあった。

田中昌宏【パワプロ2018】

 

二軍ではサイクル安打達成するなど主力だったが一軍に定着できず


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田中 昌宏(たなか まさひろ、1954年9月28日- )

再現年度…1984年(打率.250 2本塁打 10打点)

 

智辯学園高校では捕手を務め、高代延博と同期。

・高校卒業後、大阪商業大学に進み硬式野球部に入部。一塁手、4番打者として活躍。旧関西六大学リーグ初優勝に貢献する。1975年、1976年の全日本大学野球選手権大会で準優勝。

・大学卒業後、社会人野球の三協精機に入団。1977年から都市対抗に2年連続出場。

・1978年オフに、ドラフト外阪神タイガースに入団。1982年に一軍初出場。1984年には自己最多の96試合に出場、うち11試合に外野手として先発した。しかし翌年は出場機会が減少、1986年限りで現役引退。プロでは基本的に外野手として出場した。

 

査定

併殺

走力Eとはいえ109打席で5併殺打は少し多いかな、と。

 

一言

田中将大と読みが同じなのもあってずっと記事にしようと思ってました。

ただ温めすぎて作ったときのことをかなり忘れてしまいました、申し訳ない。

宮﨑充登【パワプロ2018】

 

子連れ入団のオールドルーキー


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宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )

再現年度…2007年(3勝5敗 防御率4.83)

 

智辯和歌山高時代、1996年には春・夏連続して甲子園に出場。春はチームは準優勝するも登板機会が無く、夏は初戦にリリーフ登板するも敗退。高校時代のMAXは142km/h。

・その後本田技研工業に入社して鈴鹿野球部に所属。1999年にシドニーオリンピック代表候補選手としてプロキャンプに派遣され、広島東洋カープのキャンプに参加した。

・広島にも在籍していた吉本亮コーチの助言のもと、フォームをスリークォーターに変更してから球速が150km/h以上を記録するようになり、キレも増したことから遅咲きながらプロ入りへの道が拓けた。

・2006年11月6日、鈴鹿市内で記者会見し広島入りを表明。広島が希望枠(逆指名)で選手を獲得するのは2002年の永川勝浩投手以来4年ぶりとなった。入団時既に妻子持ちで、プロ野球では珍しい子連れ入団であった。

・2007年3月31日、開幕2戦目の阪神戦でリリーフとして初登板。同点の7回裏に登板し打者2人を続けて打ち取るも、四球と長打で2アウト二・三塁のピンチを作り降板。後を継いだ佐竹健太が2連続四球で失点し、敗戦投手となる。プロ2戦目の4月4日の横浜戦では同点の6回表に登板し、プロ初勝利を挙げた。

・その後4戦連続してリリーフ失敗し、防御率10点台で二軍に落とされた。しかし二軍で課題の落ちるボールを習得、フォームを調整し、約1ヵ月後に再び一軍昇格。先発ローテーションに入ってからはまずまずのピッチングを続け、9月29日の阪神戦では、自己最多となる7回2/3を2失点で投げ、先発初勝利。先発にリリーフにと重宝されて31試合に登板し、3勝を挙げた。

・2008年、前年の秋季キャンプから投球スタイルの変更に取り組み、自慢の球威を落として制球力向上を図った。オープン戦ではまずまずの投球で開幕一軍で先発ローテーションの5番手に入ったが、先発投手としてのスタミナが無いことなどが露呈し、シーズン後半には、前田健太など他の若手先発投手の活躍に押し出される形で二軍に降格。1年目の成績から、ほとんど全ての数字を下げた。

・2009年は5月に一軍に登録されたものの登板の無いまま二軍へ降格。再昇格もなく3年目で初の一軍出場が無いシーズンとなった。二軍では先発ローテーションを任されたが、防御率5.49は規定投球回数に達した投手ではリーグ最下位だった。

・その後も二軍では登板したものの一軍戦に出場することはできず、2011年10月13日球団より戦力外通告を受け、現役を引退した。

 

・現在は永和商事ウィング硬式野球部で投手コーチを務める。

 

査定

全般

パワプロ14決定版ベース。

スタミナ

少し高かったかもしれない。

 

一言

巡り合わせによってはもっとプロで活躍出来たんじゃないかなぁと思いました。

李恵践【パワプロ2018】

 

「よろしくお願いします!好きな食べ物は醤油ラーメン、カレーライスです」


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李 惠踐(イ・ヘチョン、韓国語:이혜천、1979年3月12日 - )

再現年度…2009年(1勝1敗1S 防御率3.65)

 

・1998年2次ドラフト2位で韓国・OBベアーズ(現:斗山ベアーズ)に入団。

・2年目よりチームの中継ぎの柱として活躍。2006年には2006WBC韓国代表の予備エントリーメンバーに登録された。同年ドーハアジア大会の韓国代表に選ばれたが、銅メダルとなり兵役免除の恩恵は受けられなかった。

・2007年シーズンは兵役に行くことが予定され、選手登録から外され公式戦には1試合にも登板しなかったが、持病の腰痛により結局軍には入隊しなかった。10月に日本でのフェニックスリーグで好投し、韓国シリーズではリリーフで登板した。

・2008年オフにFA権を行使し、日本プロ野球へ移籍を図る。11月に東京ヤクルトスワローズと2年契約を結んだ。

・左の先発候補として春季キャンプから高田繁監督から大いに期待されていたが、オープン戦5試合に先発し1勝3敗、防御率6.95と不安定な投球を続けると、開幕直前の3月31日には右ひじ軟骨挫傷により戦線を離脱した。

・5月4日の広島戦で初登板初先発を果たした。8月2日の戦では森野将彦に対し右脇腹付近に死球を与えたが、謝罪をしなかったため乱闘騒ぎとなった。左のワンポイントとして、42試合に登板し防御率3.65の成績を残した。被安打や与四球が多い事が課題である。

・2010年11月15日、球団側から3年目以降の契約オファーされず、ヤクルトをFAとなった。後にヤクルト時代を振り返って、「日本の選手たちの態度は本当にひどい。表向きはよくしてくれるが心を開かない」「1人でたくさん泣いた」と語っている。

 

以降古巣復帰したりは省略。

 

査定

対左打者B

甘めにつけたけどいいでしょ。

ケガしにくさD

全治3週間のケガあったみたいだけどまぁいいかなって(適当)。

 

一言

需要ないから査定も適当。

濱涯泰司【パワプロ2018】

 

日本でもトップクラスの打撃投手


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濱涯 泰司(はまぎわ やすじ、1970年10月3日- )

再現年度…1995年(0勝0敗 防御率3.93)

 

鹿児島商工高等学校(現・樟南高等学校)から九州国際大学を経て、1992年ドラフト3位でダイエーに入団。

・1994年に一軍初昇格。1996年にプロ初セーブおよび初勝利を挙げるものの、目立った活躍はなく、1999年シーズンを最後に現役引退。

・現在は福岡ソフトバンクホークス打撃投手。

 

査定

全般

基本的にYouTubeで見ることができた投球がベース。

球速、変化球

動画からだいたいこれくらいと判断。

落ちる球はフォークにしては速かったのでSFF

スタミナ、対左打者B、緊急登板○

基本的に左打者のときに登板している、左のワンポイント的起用が主っぽい。

ただ、左打者を抑えて終わりって感じではなく、回の途中で登板したら右打者が続いてもその回は投げ切ることもあるっぽいのでこんな感じに。

リリース○

直球と変化球のフォーム一緒だった。

 

一言

打撃投手としての実績は調べるとすぐ出てくるのでそれを見てみてください。

音声はなかったので「やすし」になってます「やすじ」もなかった。

久しぶりの再現選手です、今後は突発的にオリジナル選手を投稿したりもするかもしれないです、以上。

第4回合同リクエストの振り返り

まずはそれぞれのリクエストの軽い振り返りを。

 

1.漢康

僕が担当したリクエストです。

僕は82さんと予想しましたがいけすさんでした。

能力の具体的なヒントがほとんどないなぁと思ったものの、作ってみると意外と何とかなりました。

 

2.小野山聡

最初に見たとき本能的に「一番当たりたくない」と思ったリクエストです。

これに当たってたら次回以降の企画には参加しないつもりでした←

 

3.一投徹

作りやすい方だなぁと思いました。

カメハさんが予想の斜め上をいく選手を作り上げてましたね。

 

4.ウィリアムソン・パツキン(第一形態)

これはカメハさんだな、と思ったら案の定カメハさんでした。

バイオハザードやってないのでそこから調べる必要があるけど当たっても何とかなると思ってました、多分何とかならなかったでしょうが。

 

5.西園寺薫

気づきません。

これもなかなか当たりたくないリクエストではありました。

(確か)参加者じゃない方がSenさんと「一つ文体で誰か分かったのがある」みたいなのを言ってたのを見かけて、西園寺=Senさんってことだなと直感しました。

 

関係なかった。

きっと何かが降りてきてたんだね。

 

6.田中奏太

僕の出したお題です。

考えてるうちにかなりの長文になってしまったんですが、最初は「上から読んでも下から読んでもたなかかなた」というフレーズだけでした、まさかそこも拾ってもらえるとは82さんは凄まじい。

頭のなかで考えた設定をお題にする上で、出来る限り具体的な能力には言及しないで作り手の人が決められる範囲を広くしようと気を使いました(ぶん投げたとも言う)。

その甲斐あってか82さんに気に入ってもらえたのでよかったです。

 

7.一三太郎

これも当たりたくない方のお題でした。

いや、だって、ねぇ…?

高3で始めて大学2年ではもう東大のレギュラー奪取を狙えるレベルでしょ?難しいよ。

これを上手い具合に形にしたいけすさんはすごい。

 

次にリクエスト主予想。

とりあえず僕の予想がこちら。

作成者(担当リクエスト)⇨リクエスト主
怨霊さん(1.漢康)⇨82さん
東高校さん(2.小野山聡)⇨ごえんだまさん
カメハさん(3.一投徹)⇨いけすさん
Sen(4.ウィリアムソン・パツキン(第一形態)⇨カメハさん
ごえんだまさん(5.西園寺薫)⇨Senさん
82さん(6.田中奏太)⇨怨霊
いけすさん(7.一三太郎)⇨東高校さん

 

82さんといけすさんが逆でしたがそれ以外は合ってました、奇跡。

これまでの合同リクエストを何度も読んで予想したんですが、何かめんどくさくなって最後はわりと適当でした。

82さんが漢康だと予想した人は多かったみたいなのでよかったです(?)

 

 

最後に

 

次回があればまた参加しようかなぁと思ってるのでそのときはよろしくお願いします。

この記事はだいぶふんわりと書いたので適当に受け流してください。

ドラフト上位指名組(オリジナル)【パワプロ2018】

 

即戦力社会人投手


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田之上 圭吾(たのうえ けいご、1994年10月28日 - )

 

・即戦力の先発投手としてドラフト1位で獲得も、オープン戦では早い段階で打ち込まれることが目立ち、中継ぎに起用変更。

 

能力

イメージは甲斐野。

それ以外に書くこともない。

 

長打力が魅力の社会人遊撃手


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吉崎 悠馬(よしざき ゆうま、1994年5月7日 - )

 

・土佐トルネードの遊撃手の打力不足解消を期待され入団。

・守備には粗さが見えるが初球からフルスイングで思い切りのいいバッティングスタイルが売り。

 

能力

イメージは西浦。

土佐トルネードがまだ存在していない頃に作った選手なのもあって設定もかなり変わってます、アップロードされてる選手は名前も違う。

 

身体能力の高い大型高卒新人


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真島 大吾(ましま だいご、2000年5月14日 -

 

・嶋野高校からドラフト3位で入団。

・弱小チームであったため、無茶なスライディングやチームのことを考えないプレーが目立つが、その肩は球界でもトップクラス。

・その肝心の肩も送球の正確性のなさで活かしきれていないが、素材は抜群なため今後に期待がかかる。

・好きなゲームは龍が如く

 

能力

狂肩。

 

一言

特には

オリジナルチームの話

現在紹介しているオリジナル選手はいずれも作成中の土佐トルネードというオリジナルチームの選手です。

一軍はすでに埋めきっており、二軍選手をちょくちょく作ってます。

が、やっぱり「一軍級の選手を作りたい」という気持ちは強いもので、新しくオリジナルチーム二つ目の作成に手を出すことにしました。

 

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こんな感じ。

 

また、今後の投稿についてですが、土佐トルネードの選手の紹介はだいたいキリがいいところまで終わったのでそろそろ終わります。

その後は再現選手の投稿を再開する予定です。

 

浜松ブラックパンサーズの選手の紹介はまた一軍を埋めきってから考えようと思います(どうしても気になるという変わった人はTwitterを見てね)。

 

それでは。

ドラフト下位指名組(オリジナル)【パワプロ2018】

 

甲子園出場は果たせなかった、地区屈指の左腕投手


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都築 和巳(つづき かずみ、2000年8月18日 - )

 

・甲子園の地区予選準々決勝くらいで破れたチームのエースくらいを何となくイメージ(後付け)。

・変化球はまだまだだが、左腕ながら最速149km/hという力のある速球が武器。

 

能力

とりあえず思考停止で高卒新人によくついてる回復F。

あとは雰囲気で。

 

高校通算24本塁打の強肩捕手


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西脇 久則(にしわき ひさのり、2000年5月13日 - )

 

・高校通算本塁打数は後付け、今調べて適当に決めた(元木や宮崎と同じ本数)。

 

能力

適当。

身体能力高めの選手をイメージして作った(後付け設定では小学生の頃に「他に出来るやつがいなかったから」捕手を始めた感じ)ので外野手辺りにコンバートは検討できそう。

 

大学相伝ツーシームが武器の日系ブラジル人投手


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紀田 マウリシオ(きだ マウリシオ、1996年9月20日 - )

 

・どことは言わないけどとある大学出身という設定、実在の名前を出すのはアレなので西亜細亜大学とでもしておく。

・大小二つのツーシームを投げ分けゴロを打たせる投球が持ち味。

 

能力

・まぁ適当なんですけど。

・ドラ6設定にするにあたって何故そこまで指名されないのか、という点で「球速がいまいち」という結論に至りました、以上。

まぁ癖で軽率にノビCつけちゃってるけどね。

 

一言

紀田マウリシオが一番のお気に入り選手です。

アンドリュー・ロイ(オリジナル)【パワプロ2018】

 

剛腕助っ人リリーバー


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サー・アンドリュー・ロイ(Shah Andrew Loy, 1990年10月17日 - )

 

・来日一年目の助っ人右腕。

・高速シュートとナチュラルシュートを投げ分け、さらにカットボールとチェンジアップを交えてゴロを打たせる投球をする。

・打ち込まれるとキレることがあるが、それを除けば頼れる助っ人。

 

能力

イメージはマクガフを扱いにくくした感じ。

今日のアプデでマクガフの球種変わったけどね。

ちょっとだけオーレンドルフも意識してたりしてなかったり。

 

一言

こういう力でねじ伏せる感じの助っ人投手もいいよね。

呉大二郎(オリジナル)【パワプロ2018】

 

呉ットランチャーと称される強肩が武器のキャッチャー


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呉 大二郎(くれ だいじろう、1990年9月16日 - )

 

・強肩が最大の売りのキャッチャーで、盗塁阻止率は.400を超えることもあるが、打撃はいまいちパッとしないので更なる打撃力の向上が求められる。

・呉ットランチャーという愛称は誰がつけたかハッキリしていないがいつの間にか浸透した。

 

能力

甲斐、梅野を中心に各球団の正捕手を参考に。

それ以外に特に書くことはない。

 

一言

オーペナだと.250前後になることが多いです。

バントは上手いけど8番なのでそれを活かせるタイミングも少ないという。

さっさと打撃も覚醒してほしいね。